ぼくらが旅に出る理由2~革命とベルばら・愛と革命のトリコロール~

前回で触れた私が歴史好きになったルーツだが、小学校の図書室にあった漫画・偉人伝の影響も大きい。

 

よく読んでいたのは、ノーベル、シュバイツァー、ベートーベン、キリスト。

キュリー夫人ナイチンゲール卑弥呼淀君(よどぎみ)。

 

特に、卑弥呼淀君は何度も読んだなあ。

 

家にはモーツアルトの漫画・偉人伝があった。オーストリア宮廷に招かれて、マリア・テレジアやフランスにお嫁に行く前のマリー・アントワネットの前で演奏するシーンとか、めっちゃ覚えてる。そこの注釈で、マリー・アントワネットについて「フランス革命で処刑される。」

という記述がありショックを受けた。

え!何、処刑って!お姫様って、処刑されるの!?

とか思ったんだと思う。

 

やっぱり私も夢見る女の子だったので、お姫様っていう言葉にものすごく憧れを抱いていたから、相当びっくりしたんだろう。

そういや卑弥呼も失脚させられて最期は海に入水するシーンがあったし、淀君も火を放たれたお城で自害するシーンで終わりだったからなあ。

権力者(しかも女)が死ぬシーンっていうのが、どうやら私にインパクトを与え後々の嗜好に影響をもたらしたらしい。

 

その影響か、バレエの「ジゼル」の1幕終盤で、ジゼルが恋人の裏切りを知って錯乱して、踊り狂ってから死ぬっていうシーンが好きだったりする。

 

あ、あと、シェークスピアの「ハムレット」でオフィーリアが錯乱して、最期は水死する描写も好みだったりする。

水死のオフィーリアは沢山の画家がモチーフとして絵画を残している。

ジョン・エヴァレット・ミレー作の絵画なんて、作者は知らなくとも観たことがあってずっと心に残っていた作品なのだが、私以外にもそういった方もいるのではないだろうか?

#ジョン・エヴァレット・ミレー #オフィーリア

 

少し話はずれたが、歴史を好むと、戦争・政治・絵画・音楽の話がもれなくついてくるのでどうしてもこういった死の影の濃い話になりがちになる。

生き死にの話が苦手な方はご注意を。

でも、よくいうじゃない?

メメント・モリ。死を忘れるなって。

死生観を見つめるのは生きるために必要なことでもある。タブー視することではない。

 

話を戻そう。

少女漫画で歴史を扱う作品の金字塔といったら、「ベルサイユのばら」だと思うのだけれど、私は高校生の頃初めて読んで、最初は昔の少女漫画の綺羅綺羅しい登場人物の容姿とか、キザな台詞とか、仰々しい詩的なモノローグに夢中だったのだけれど、

今思い返すと、フランス革命勃発してからのシーン、バスティーユ牢獄が陥落されて主人公のオスカル死亡するシーン以降~アントワネットが処刑されるシーンまでが特に好きなのだ。

マリー・アントワネットと子供たち #エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

 

 

主人公のひとり、オスカルが死んでから、2人目の主役アントワネットが死ぬまでが結構長い。

 

そう、フランス革命は始まってからアントワネットが死ぬまでが序章でしかなく、終わるまでのなんて長いこと!

「ベルばら」は飽くまでタイトルの通り「ベルサイユ」の「ばら」が散る話であって、革命の話ではないからここで終わるのが道理。

 

クーデターなら王族が処刑され、王族の権力が滅び、貴族や市民が台頭する前で終わってよさそうなものだが、そう世の中単純ではない。

 

革命を先導していたものたちが次々と入れ替わり立ち替わり、過激派の台頭、恐怖政治の実施、その挙げ句の果て自分たちが準備したギロチンによって処刑され、結局ブルジョアジーが勝者となり、沢山の犠牲を払ってやっとく落とし所に落ち着く。

濡れ手で粟のブルジョアジー。(否、ブルジョアジーだってめっちゃ働いて革命を生き抜いたんだと思うんだけど、王族の悲劇やロベスピエールテロリズムに走っちゃう熱狂さと比較したらちゃっかり感がある。)

 

もっときれいな台本がありそうだが、現実ってそんなもん。

旧体制が新体制に入れ替わるときは、誰かが用意した台本が先にあったハズなのだが、

完全に制御不可能に陥り、結局力を注いだものではなく、宴の後に残ったくずを上手く拾ったものが権力者になったりするのだ。

ああ、さも儚き革命に振り回される命よ。

ここで、私は思う。

自分の手を汚すのって、美しいと思っていたが、勝ち負けにおいては愚策なのでは?

手を繋いでゴールほど、幻の理論はないのである。

WIN×WINってないんだな。(革命において。)

わたしゃ、政治家には、なれそうもない。

 

とりあえず、私は日本の明治維新前の王政復古~鳥羽伏見の戦い箱館戦争の話も大好きなのだが、間違いなく、こちらも「ベルばら」から影響を受けフランス革命の小説やら考察本ばかかり読んでいたからに違いない。

いかに美しく破れるか。という敗者の美学と、

正義になるのは正しい者だからではない。勝ったものが正義なのだ。

という真理。

これらは明治維新から学び、

フランス革命において学んだことは、新しい時代は混沌からしか生まれない。

そして資金力が強い者が勝つ。

でも、死んだらおしまいだよ。生き残ったものが、強い。

 

 

さて、去る7月14日はフランス革命記念日(パリ祭)であった。

フランス革命の発端となったバスティーユ監獄襲撃(1989年同日)およびこの事件を記念して翌1790年年に行われた全国連盟祭が起源となっているそう。

国の祝日で、花火やらパレードやら大変なお祭り騒ぎのもよう。

いろんな施設が無料で入れたりして、ルーブル美術館なんかは常設展が無料で観れるとの情報が。

いいなー!モナリザ観てみたい。

もちろん、混雑必至のようですが。

 

漫画を楽しく読んだだけで、勉強になる。

もちろん、純粋な楽しみの為に読んだのだが、結果的に歴史の勉強になった。

歴史に学ぶとなんとなく今起きている世界の問題の解答が潜んでいるように思える。

現在なんてまさに次の時代の過渡期。

それぞれの舞台で踏ん張るしかないのだ。

 

ここでフランス革命のスローガンを高らかに叫びたい。

自由!平等!博愛!

これらは私の大好きな言葉だが、手に入れるまでが戦い。そして責任と義務が伴う。

責任なき上記3つは野蛮である。

その辺をお忘れ無きよう、取り扱いにはくれぐれもご注意ください。

過渡期に生きる私たちへの戒めとして。

今回はここで終わろうと思う。

ドラクロワ #民衆を導く自由の女神