ぼくらが旅に出る理由4~いつも心に、ショパン。ああ憧れのワルシャワ~

さて。自分の旅に行きたいリストを次々挙げていくこの企画。

 

ショパンの生家。である。

ポーランドの首都、ワルシャワから西へ約60kmほどの場所。

我が愛しのピアノの詩人・フレデリック・ショパンが誕生したジェラゾヴァ・ヴォラ村がある。

ショパンが誕生した1810年当時の建物ではなく、復元だが、家具や内装は当時のままの形で復元されたもよう。

ショパン生家 #ジェラゾヴァ・ヴォラ村 #ポーランドワルシャワ



 

私のポーランドの知識は、まったくもって、ショパンの出身地である。

これに尽きる。これしかない。

 

私がショパンを愛する理由は、「音楽の話がとまらない1」あたりで軽く触れたが、最初のきっかけは幼少の頃聴いた中村紘子さんの「ハウス・ザ・カリー」のCMだったように記憶している。

そして中学1年生の頃母にねだって買って貰った「ショパンポロネーズ集」のCD。

ショパンポロネーズ集 #アレクサンダー・ブライロフスキー

ショパンポロネーズ集 #収録作品 #アレクサンダー・ブライロフスキー



当時のCDは東日本大震災で紛失してしまったので、震災後同じものを買い直した。

私は、気に入って馴染んだものから感受性が縛られるようで、それ以降色んな演奏者のショパンを聴いたのだが、初期の刷り込みが強すぎて違和感があって馴染めなかった。

歌い方とか、テンポとか、アクセントとか。

この演奏家もいいよね、とは思うのだが最初に気に入った(特にショパンポロネーズに関しては)アレクサンダー・ブライロフスキーの演奏版のCDの音じゃないと落ち着かないのだった。

 

ショパンという作曲家と彼の出身国のポーランドの情報を初めて取り入れたのが、このCDについていたリーフレットの解説を読んでだった。

 

ポロネーズとは、マズルカとともにポーランドを代表する郷土舞曲の1つである。

(解説:柴田龍一氏の文を一部拝借。)

 

 

郷土舞曲や民謡を取り入れているクラシックの作曲家は多々いるが、絶対王政が滅び立憲君主制へ移り変わり、それを経た第一次世界大戦前後に増えたのではないかと推察する。

 

それまで宮廷や王侯貴族向けに曲を書いていた作曲家の時代から、トレンドを引っ張っていく階級が移り変わっていったからだろう。

ショパンより時代は後だが、ハンガリー出身の作曲家バルトーク民族音楽研究家でもある)も口伝でしかなかった民謡のエッセンスを沢山作品に取り入れた。

曲調や生き方にも全く共通点がないものの、時代を察知して無意識に世の変化を音楽に取り入れたのではないだろうか。

音楽や絵画から、第一次世界大戦前後は時代の変化というものの影を特に強く感じる。気がする。

 

私は絵画鑑賞も好きで、シャガール展を観たときも同じような感想を抱いた。

東欧の苦境と暗い影をものすごく感じ、下手すると憂鬱になるので感受性を働かせすぎないように注意して鑑賞している。

音楽と絵画は政治や戦争の匂いをものすごく反映させる。少なくとも私はそれをすごく感じる。

表立って批判や風刺が出来ない時代は、芸術の出番なのだ。

 

さて、ポーランドについて。

ポーランド共和国公用語ポーランド語。

国連の区分では東欧。米CIAの区分では中央ヨーロッパ

通貨はズヴォティ。首都はワルシャワ

2001年、ポーランド最大の空港「オケンチェ空港」が「ワルシャワショパン空港」に改名された。

 

東はベラルーシウクライナ

西はドイツと国境を接する。

 

 

このことでも分かると思うが、この国は何度も分割と統合を繰り返してきた。

18世紀、3度に渡って分割された末に消滅。

自分の住んでる国が、消滅するなんて、想像を絶する。

いや、現在も同じようなことが世界的に起きている。

暗い過去の影ではなく、今ここにある現実に戦慄する。

 

戦後の1952年、ポーランド人民共和国として国家主権を復活させた。ただし、ポーランド統一労働者党共産党)による一党独裁体制であり、ソ連に従属する衛星国であった。

 

1989年に行われた自由選挙の結果、非共産党政権が成立。現在のポーランド共和国となった。

 

ショパン1810年ポーランドで生まれ、20歳でワルシャワを去りウィーンへ向かう。それを経て1832年に彼はパリで活動を始めた(22歳頃)。

この年はロシア帝国ポーランド立憲王国を併合した年でもある。

この少し前に11月蜂起が起こり、ウィーンからパリに赴く途中、ショパンは蜂起が失敗に終わったことを知り、

この頃「スケルツォ第1番」や「革命のエチュード」などが作曲される。

 

パリ時代は主にサロンで演奏を行い大変な人気を博し、ピアニストとして最大級の名声を獲得している。

病弱で生涯肺結核に悩まされれ、療養しながらも運命の恋人ジョルジュ・サンドと生活していた時代にも精力的に作曲活動に励み短い生涯で沢山の作品を残している。

大変な愛国者であった彼だが、2度と故郷のポーランドへ帰郷することなく、1849年39歳でパリ亡くなっている。

 

ポーランドについて少ない私の知識から特筆するなら、「ショパン国際ピアノコンクール」であろう。

名のある国際音楽コンクールで、もちろん開催地はポーランドワルシャワ

 

コンクールではあるが、基準に満たなければ第1位優勝者がなし、という年もあるらしい。

コンクールで使用される公式ピアノを演奏者が選ぶ時間が15分与えられ、どのピアノを選ぶか、選ばれるかの戦いを観るのももなかなか面白い。

勝負は演奏者だけではない、舞台裏を取材した特集番組を観たことがあり、大変興味深かった。

日本ピアノメーカーからはヤマハとカワイが選択肢にある。

2010年のコンクールではヤマハ使用者から初めての優勝者が出たらしい。

カワイ使用者からは残念ながら未だなし。

今後を大いに期待している。がんばれ!日本のピアノ!

 

そして忘れちゃいけないのが2021年第18回大会では反田恭平さんが第2位に入賞!

というとても素晴らしい結果を残している。

日本人歴代最高位タイで、内田光子さん以来51年ぶり2人目の快挙だそう。

同年2021年、第4位に小林愛実さんが入賞している。

誠に2021年のショパンピアノコンクールは胸熱であった。

 

反田恭平さんを初めてしったのはアニメ化にもなっている「ピアノの森」で登場人物の一人の演奏の吹き替えをしているからだ。

 

主人公・一ノ瀬海の師、阿字野壮介のピアノ演奏を担当している。

ショパンコンクール篇で主人公・海が演奏していた「プレリュード24の前奏曲 ニ短調 作品28 第24番」にいたく感銘を受け、ソッコーYouTubeへ聴きにいったら、反田恭平さんに出会ったのが2018年頃。

 

これから益々注目のピアニストに出会えて嬉しい。

今後のご活躍も刮目して見守ります!!

 

旅行に行きたいだけの話だったのに。結局大好きなショパンにまつわる話になってしまった。

ショパンの情報量が膨大すぎて、大好き過ぎて纏めるに纏めきれずここいらで断念。

詳しい続きはウェキペディアで!!笑

 

 

 

さて、ショパンの生家、ジェラゾヴァ・ヴォラ村へのアクセスは。

 

 

ショパンの生家(ジェラゾヴァ・ヴォラ)
Dom Urodzenia Fryderyka Chopina w Żelazowej Woli

  所在地: Żelazowa Wola, 96-503 Sochaczew
  アクセス: ワルシャワからPKP(鉄道)でソハチェフまで。ソハチェフからは市バス利用。
             
  Tel.: (48 46) 863 33 00

Fax: (48 46) 863 40 76

<開館時間> 
  10月~3月・・・9:00~17:00
  4月~9月  ・・・9:00~19:00
  8/15 9:00~19:00
  11/11  9:00~17:00
  月曜日、1月1日、復活祭の月曜日、11/1, 12/24,25は休館

<入館料> 水曜日は無料
生家 23PLN 
庭園7PLN

ショパン・リサイタル
 毎年5月初~9月末の毎週日曜日、12:00~ と 15:00~の2回
 リサイタル情報 http://en.chopin.nifc.pl/institute/concerts/zelazowa_wola
  ※ ショパンの生家の中の座席で聴く場合はチケットが必要(現地で購入)
  ※ 生家の外(公園内)で聴く場合は無料(ただし公園の入場料は必要)

 

ショパンコンクールのシーズンに是非訪ねてみたい。

フレデリック・ショパン

おしまい。