正しい盆の過ごし方~終戦記念日・ご先祖さまと英霊に寄せて~

今日は77回目の終戦記念日

終戦記念日というと何故か見た記憶も無い晴れた空と、耳にうるさい蝉の鳴き声、濃い夏の匂いが頭の中で再生される。

誰が意図したか分からない、人間のではない場の重苦しい記憶というのだろうか。

そういったものを思い出す。

 

私が日本史を苦手としたのは、第一次世界大戦から終戦までの教科書の内容と授業が、嫌悪感をもたらして拒絶反応が起きるからである。

戦中・戦後に触れた教科書の内容が大嫌いだった。

嫌いなものには、無関心でいるものより自己の精神において重大な理由が潜んでいる。

私は日本人に植え付けられようとしている、自虐に拒絶反応を起こしていたんだと思う。

 

今なら、戦争に負けたから、全ての責任を押しつけられたのだと突っぱねることもできる。

でも、あの無垢な情報武装もしてない義務教育期間に、暗にずっと日本人は戦争責任があるから尽くせ、(何に?日本を食い物にする外国に?)

奴隷になれ(丸腰で戦争反対を叫ぶ盲人に?)

と教えられたようで、幸せになってはいけないと突きつけられたような気持ちになった。

 

建前と、本音を分けて教えて欲しい。

どう思えばいいか正解を教えて欲しかった。

まごうことのない真実や真理に憧れた。

私は高校生時代日本人の業のようなものに耐えられず、これを楽にするには宗教に入ればいいのだろうか、と考えたこともあった。

(イメージは仏教に出家した尼さん。)

今思えば、それはとても危険な思想なのだが。周りに変なカリスマ教祖やリーダーがいなくて良かった。

いたら洗脳されておかしな人間にされていたかも知れない。

 

ただ思うのだが、もしかして正解はあるのかも知れないのだが、表面上日本人には先の戦争において、どう受け止めるかを個人の自由に委ね過ぎているのではないだろうか。

もちろん、戦争は過ち、日本には責任がある。そう受け止められることも重要である。

そして、こう受け止めなさい、と総一的な教育をするのも、洗脳に近いので、誤った思想を基にした場合大変危険であるから、取扱注意なのも分かる。

一方で無関心も目立つ。

もしかして、内心思うところがあるのだろうけど、言うのが憚られる、ということだろうか。

お茶を濁すという慣用句がしっくりくる日本人気質。

ただ、もっとしっかりしようよ日本人、ともどかしい気持ちでいっぱいなのだ。

(もちろん自分を含め。)

先の天皇皇后両陛下を、慰霊訪問で沢山働かせてしまった。

有難い気持ちと、不甲斐なさでいっぱいになってしまうのだ。

民間では出来ない仕事を担って頂いたのはわかるけど、同時にもっと小さな個人でも日本の為と胸が張れる指針が欲しい。

それと同時に、そこから進むにはどうすればいいのか。そう呆然としてしまう。

 

どうして日本は日本人の幸福を1番に考えてはならないの?世界平和って日本が丸腰で戦力をもたないことなの?外国から干渉を受けても戦わないことなの?独立を守るのは何にも勝る優先事項ではないの?戦争さえしなければ平和なの?

終戦記念日に関係なく、常に考える。

選挙の投票に行くときも、どの政党に投票しようか本当に悩ましい。

こればっかりは他人に期待することでしか日本の未来に投資できないから。

 

先ほど、自民党の誰々が、靖国参拝をして、誰々は、記者の問いかけにノーコメントだった。

というニュースを見た。

誰が参拝しようがいいじゃないか。このニュースは何が言いたいんだ。

毎度のことだが、そうモヤッとした気持ちになる。

むしろ日本国民全員靖国参拝をしろ。とめっちゃ思春期だった高校生時代の私ならそう思ったのだが、

今は強制ではなく個人で、と枕詞をつけて事を荒立てないように静かに参拝する方の邪魔はするんじゃねえ、とだけ思う。

間違ったことをしてるから事を荒立てないようにしてるわけじゃあない。

誰の代弁をしてるか知らんけど、正当な理由もなく批判する輩がアレだからノーコメントなんじゃないの?そんくらい分かろうよ。

何を聞き出すための記者なの。何て答えさせたいの?悪意はないの?

そう。私はこの手の話題には冷静ではいられない。

普段なら考えられないべらんめえ口調の日本男児的気質が乗り移ってしまう。

 

一部メディアの情報操作の悪意のようなものを目にすると、怒りを覚えて、でもじゃあどう自分は終戦記念日や平和に対して祈ろうかといつも考える。

 

とどのつまり。現時点での結論として。

ご先祖様に敬意を。

結局それに尽きる。

奇しくも日本のビックイベント・お盆。その期間と終戦記念日が連なっているのは縁がある。

日本人は心安く、高校野球の甲子園大会を見守りながら英霊に思いを馳せるのが正しい盆休みの過ごし方。

汚れちまった悲しみに、高校球児の真摯さが目にしみるぜ。

 

普段どんなに一人で生きてるつもりでも、お金さえ在れば世の中ほとんどのことはどうにでもなるのよ!と嘯いても、国の行く先や情勢の不安定さに負の感情を抱いていても。

 

お盆は自分のご先祖様に感謝し、英霊に祈る。

日本のこの風習には感謝。

 

私たちの先の戦争のジレンマも、自虐教育や自虐外交も、誰に向かっているのか分からない政治も。

そこは脇にちょっとだけ置いておいて、

心安くお盆を過ごして、ご先祖さまに感謝。つつがなく日々を暮らせていることに感謝。

 

 

おしまい。

靖国神社 #終戦記念日