日野旅行記 歳三さんとわたし ~或いは、端午の節句によせて~
前書き
これは、2018年4月28~29日に東京都日野市を旅した際の旅行記録でLINEのタイムラインに掲載したものである。
(あり得ない程の長文で、LINEタイムラインの正しい使用法を無視しており、
自分の気持ちをを綴ることに注力・専念している、清々しいまでのエゴの発露となっている。)
それをちょっとだけ加筆・修正を加えてほとんど当時のものと変えず掲載させて頂く。
こちらで観光した場所等の情報は2018年当時のものですので、
2023年現在どういった状況になっているか分かりかねます。
実際これから行こうとされる方は、このブログを参考にし過ぎず、現在の情報を調べることを強く推奨致します。
あしからず。
さて、始まり始まり。
日野旅行記
歳三さんとわたし
或いは、端午の節句によせて
長文のため、以下注意
好きな歴史の偉人は誰ですか?
私なら、こう答える。
そう、土方歳三、と。
諸説あるが、旧暦の五月五日、端午の節句は土方歳三の誕生日であるとのこと。
わたしと歳三さんの出会いは少女漫画「風光る」だったと思う。
『風光る』渡辺多恵子 「月刊Flowers」公式サイト 小学館↓
https://flowers.shogakukan.co.jp/work/311/
主人公は架空の少女と沖田総司なのだが、新選組を結成するきっかけとなる浪士組の募集の際、
試衛館から、後の新選組幹部ら面々が京へ上洛するのだが、
その上洛前の土方歳三の生い立ち、半生が滅茶苦茶面白いのだ。
手が付けられないバラガキだったり、
奉公先で恋愛事件を起こしてクビになったり。
ノンケなのに奉公先の番頭にケツを狙われたり。(18禁。失礼。)
かと思えば生家の家伝薬の原料を収穫する際、働く村人を統率する力が秀でていたり。
(歳三は土方家第10子の六男(諸説あり)で末っ子。
奉公に出たりもしたが基本・生家が豪農でプラプラしてても家族に可愛がられる。
母代わりの姉(両親は早く亡くなっていたため)の嫁ぎ先の佐藤家は日野の名主である。
歳三は穀潰しとして姉の嫁ぎ先でも世話になりそこでも可愛がられる。
うーん、私が尊敬する他の歴史上の偉人とはこの時点で何かか違う。)
プライド高くて、カッコつけてて、
でも結果勉強出来る秀才と言うより、非エリートで組織を大きすることしか考えてなく、実践の人でリアルにカッコいい。
つまり、キャラが立つのである。
「風光る」の作者があとがきで、司馬遼太郎の「燃えよ剣」が滅茶苦茶面白いとのコメントをしていたのを見、手をつけたが最後、
どハマりしてしまった。
そう。「風光る」では
単に人として面白い、キャラが立つ〜との印象が、
「燃えよ剣」では
漢も惚れるサムライ!そこにシビれる!憧れるゥ!
となってしまった。
そこから早10年。
(省略しすぎ。)
あらゆる新選組関連の漫画や小説を読み、
もうここまで史実の人間を弄っていいのか?という乙女ゲーム
(「薄桜鬼」グリー版(グリーって懐かしい!?)、
無課金。
コンプに三年かかる。
土方ルートでは三回は死んだ。
沖田ルートでだって三回以上死んだかも。
つらくて、土方ルート→沖田ルート→斉藤ルート→原田ルート→藤堂ルートと、
死ぬ度違う攻略キャラでやったが、全員もれなく最低一度は死んでいる。
相手が死んで死別・自分が死んで死別・攻略キャラに殺される・自分も攻略キャラも死んで全滅、
ありとあらゆるバッドエンド。
乙女ゲームって、攻略キャラと両思いになれないと死ぬの?
という、間違った認識を私に植え付けた、今現在でも続編や新作がリリースされ長年愛される名作ゲームである。)
ありとあらゆる死別を体験させられメンヘラにされ、
そんな薄桜鬼に萌え、もう史実とフィクションの境が分からなくなり、
わたしの中の土方歳三像が膨らみ嘘か真か良く分からなくなり、
一旦冷静になろう。
そう思ったのである。
そして、
そうだ、日野へ行こう。
と思った。
(BGMはもちろん、「そうだ 京都、行こう。」で流れる「My Favorite Things」である。)
ずっと行きたかったのだが、これはオタクの聖地巡礼では?
と自分に戸惑いがあり、
じゃあもっとオタクにならないと敬意が足りないのでは?
と勇気が足らず、
でももう誰にも真意を明かさず一人で行けばいいじゃん?
と一人開き直り、
先日一人ツアーを決行したのである。
黙っていられず今ここで明かしたが。
ここまで来るのに苦節10年。
(ちなみに旅の資料は2018年から見て、五年程前に購入した「るるぶ薄桜鬼〜新選組ゆかりの地をめぐる〜」である。
ここから更に四年程前の京都旅行の際にも、これを役立てた。
二条城と池田屋はポカンとする友人達を尻目に無理矢理日程にねじ込ませて頂いた。
これしかわたしの需要に応えるガイドブックがなかったのだよ・・・
今回は表紙が見えぬよう、ブックカバーを手作りし、持ち歩くことにする。)
この期間中は、奇しくも土方歳三資料館にて彼の愛刀、和泉守兼定が期間限定展示中。
しかも四月二十九日は生家の家伝薬、石田散薬手作り体験(整理券配布あり)?!
よし!土方歳三資料館は二十九日にしよう!
一日目〜二〇一八年・四月二十八日。
東京駅から中央線で日野駅下車。
徒歩十五分程の「新選組ふるさと記念館」へ。
まず受付近くに土方歳三、沖田総司、斎藤一の愛刀の模造刀があり、
受付のおねえさんが
「触ってみます?どれがいいですか?」って言って下さったので「でへへ。では土方さんのを」
と何故か過剰に照れ笑いを浮かべ、和泉守兼定の模造刀を手にする。実物と同じ重さとのこと。
意外に軽かった。まあ、これに脇差も差して左半身に二本差しなら重いだろうけど。
骨盤が歪みそうよね。
武士はやせ我慢の生き物なり。
館員のおねえさんがお気遣いで申し出下さった写真撮影は丁重にお断りした。
既にオタクなんだが、オタクじゃないと思いたい自分の狭間で
揺れて揺れて揺れ動く(LUNA SEAのROSIERの歌詞ばりに)
わたしにとっては、黒歴史は記憶の中だけで十分だ。
写真に残しちゃ、ダメ・絶対。
本当は斎藤一の愛刀・鬼神丸国重(諸説あり)も触りたかった。
(浅田次郎著書「一刀斎夢録」の斎藤一こと藤田五郎翁も渋くて大好きだ)
でも展示を見る前にお腹いっぱいになりそうだったので、やめておいた。
(萌えの消化不良。なんて虚弱なんだ。HSPだからか?)
だって、今回のメインは土方!!和泉守兼定は明日は本物も見るんだもん!
もう、立派なテーマパーク。
一つ一つの展示物を噛みしめるように見、だんだらの羽織を着て写真撮ろうコーナーの誘惑を(再び)振り切り、
次の目的地「日野宿本陣」へ徒歩で。
土方歳三の姉の嫁ぎ先で、歳三からみて義兄の佐藤彦五郎が日野宿の名主(町長さんとか、知事みたいなもの)を務め、
彦五郎は後に新選組の強力な支援者のひとりとなる。
甲州道中に現存する本陣はわずか3つで「日野宿本陣」はその中の貴重なひとつ。
歳三が昼寝した部屋、沖田総司が相撲のぶつかり稽古をした柱、箱館戦争の最中・和泉守兼定を持ち帰った小姓・市村鉄之助を匿った部屋・・・。
ガイドさんも市村鉄之助が命からがら日野宿を訪れたエピソードにはついつい熱が入ってしまう様子。
(わたしも胸熱で聞いていた。)
そして明治が明けて、戊辰戦争の責任の恩赦後、明治天皇が僥倖された部屋(現存せず)のエピソードを聞き、滅びの美学に思いを馳せる。
そこで勧められた斜め向かいにある「日野宿交流館」でお土産を数点購入し、
次の目的地「八坂神社」向かいの中国家庭料理屋で
餃子定食とシークワーサーサワーで昼食を摂る。
安くて居心地の良いお店だった。
昼からお酒と餃子、サイッコウだぜい!!!
「八坂神社」は天然理心流(近藤勇が継いだ試衛館の流派)の奉納額があるらしいが、今回は公開日ではないためサラッと参拝、一日目は終わり。
夜は現地に住んでいるお友達と、友達の行きつけのこじんまりした飲み屋でレモンサワーを呑んで、
2軒目のカラオケで椎名林檎の「丸の内サディスティック」を熱唱。
「終電で 帰るって~ばんいっけんぶうくろおおおおん♪」
ちなみに友人の締めの一曲は「たま」の名曲「さよなら人類」。
例の、「ついたーーー!」という箇所を悦んで合いの手を入れるわたし。
ハグして、豊田駅の改札前で別れる。
良き一夜であった。
二日目、四月二十九日。
ガストで朝定食を食べ、中央線立川駅から多摩モノレールに乗り換え万願寺駅下車。
残念ながら、コインロッカーが空いておらずスーツケースをがんらがんらと引き摺り「土方歳三資料館」へ。
「土方歳三資料館」は歳三の生家であり、今も子孫の方がお住まいになる一般の住宅の一部を資料館として開館日のみ展示というスタイル。
閑静な住宅街に長蛇の列があり直ぐあそこか!と分かった。
九時から配っていたと言う石田散薬手作り体験の整理券は案の定終了しており、
石田散薬体験の長蛇の列が!
そう!長蛇の列の正体は石田散薬体験のせい!
一般の住宅に「土方歳三まんじゅう」売りのテントまで出張っており、もう何が何やらてんてこ舞い!
自分ばかりオタクと恥じたが、とんだ杞憂だった。
みんな、みんな、オタクばっかりやー!(歓喜。)
これで石田散薬手作り体験までやったら、わたしが心身ともに保たない。消化不良を起こすに決まってる。
わたしはそこらの推し活上手な乙女のように、サラッと楽しむ事が出来ない。
全身全霊で萌えを吸収して頭に血が巡らなくなるのである。
酸欠で脳死出来る。
体験できなくて助かったと結論づける。
おじさまもいたけど、断然若い女の子の集団が多かった!
女一人で来てるのはわたしくらい。
受付で快くスーツケースを預かって頂いて、イモ洗い状態で展示見学。
丁度館長の土方愛さんのガイドの時間だったため、混んでいた様子。
(もちろん館長さんは子孫の方です。土方家を継いだ歳三の兄の直系の方。)
他の展示は諦めても、和泉守兼定だけはじっくり拝みたい!
と粘り、空いたタイミングで何とか間近に見る。
そう言えば日本刀をちゃんと見るの初めて!
おじさまたちは刀剣をみる目がそこらの乙女とは違かった。
乙女達はなんだか、ゲームとかアニメの話をしながら見ていたもの。
刀剣乱舞も流行っていたものね。
おじさまはやはり大和男子の血が騒ぐのだろうか。
わたしも乙女達寄りの目線ではなく、おじさまと同じ静かなるフィーバーなマインドで刀と鞘と拵えに魅入る。
人を沢山斬ったであろうが、凶々しい念は感じず、もう神具の域の神々しさを感じた。
(土方推しの欲目かな。でも、妖剣みたいな感じは全くなかった。)
他展示は落ち着いて見れなかったので、資料集を購入、
ついでに石田散薬Tシャツ(紺)も購入。スタッフさんが着てたのが素敵だったのでつい。
だが多分、一番の原因として石田散薬体験の長蛇の列を見て洗脳されてしまった気がしてならない。
売り子のおねえさんが来てたサイズを参考にして、Mサイズを購入。
帰宅してから着てみて、サイズが丁度で安堵。
紺と思って買ったが、着てみると黒だった。
黒も格好いいからいいけど、黒と紺って見分けが難しい。
まえプリントのロゴは、山丸印といって、家紋(土方家家紋は左三つ巴。右三つ巴の説もあり)とは別に土方家の道具・什器類につけられた印。
歳三も京へ上り新撰組を結成する前の日野時代に、家業の石田散薬を行商するのに、山丸印の入った薬箱を愛用している。
庭には、歳三が武士を志す決意表明でもある、幼き頃植えたという矢竹があった。司馬遼太郎の小説にも出てくる。
意思の硬さ、頑固さが垣間見えもう愛おしいくらいだ。ついニヤニヤしてしまった。
(末期症状。)
熱気醒めやらぬまま 土方歳三資料館をあとに。
スーツケースを引き摺り、大汗かきながら仲間や家族でバーベキューやら、お弁当広げるリア充で賑わう多摩川沿いをえっちらおっちら歩き、
前者「」が正式名称で、なのにわたしが(高幡不動尊)と覚えていたため、なかなかスマホのナビで探せず、日野市で貰ったガイドブックが役に立った。
アナログ万歳!
重要文化財がやたら多いので、せっかくなので有料エリアの不動明王坐像なんかも見てきた。
新選組で日野出身の土方と、六番組隊長の井上源三郎ゆかりのもの、箱館政府の高官の書なんかもあった。
なので京での全盛期より、敗走して北へ向かった戦歴に滾る。
それ故に箱館政府の高官の名前が出るとボルテージが急上昇するのである。
総裁とか、陸軍奉行並とか、役職名がツボなのである。
折良くその日はお祭りのようで、奥殿を出ると丁度お神輿がでていた。
お神輿担ぐ男は五割り増しに格好いいな、
とふんわり考えお神輿を見遣り、新選組記念碑と土方歳三像をパシャパシャと撮影。
不動堂をお参りしようとしたら、階段登る際にスーツケースを引っ掛け脛から転び負傷。アイタタ。厄除け参拝しようとしていた集団に目撃されてよりアイタタタ。
ここでも「土方歳三まんじゅう」の圧がすごくそれにつられて町の通りに出てニヤリとし、
道端に建てられた新選組ゆかりの方の辞世の句が見られる碑を見て厳かな気持ちになり、
(特に二十三歳位で亡くなった最年少幹部、
藤堂平助の句
「益荒男の 七世をかけて 誓いして ことばたがはじ 大君のため」
に琴線を掻き鳴らされた。
この時代って、皆が皆、強い気持ちで日本を憂いている。
私の二十三歳の時なんて、子供だったよ。
恥ずかしいくらいの幼さ。
わたしも大和男子に生まれたらこんくらいの国を守る気概の句を詠みたいものだ。)
この気持ちを引きずって、京王線高幡不動駅を目指ししんみり歩く。
祭りの喧騒と対比しての、しんみり。
貴方達が在ったから、この平和で栄えた町が現存してお祭りしてるよ、ありがとうございます。
などと心の中で手を合わせたり。
まだまだ沢山ゆかりの地はあれども、なにせ歴史のネガティブな面も多々見るのはエネルギーが奪われる。
なので今回はこれにて新選組ゆかりの地をめぐるは終了。
銀ブラし、お茶しをしようと向かったピエール・マルコリーニも、マリアージュ・フレールも長蛇の列だったので入店を断念し、トリコロールという老舗っぽい喫茶店でコーヒーを飲み
(後日仙台に行ったら仙台藤崎だったか仙台三越だったかに系列店があった。別に良いんだけど、地元にないお店がよかったとちょっぴり思ったり。もちろん行列なんかに並びたくないけどさ。しょんぼり)
ギンザシックスを覗いて予定にないバック(See by Chloeにて。当時好きなブランドでしたわ。)を購入し、帰路へ。
銀座も混んでたけど、歴史巡りから現実に戻るのに、ワンクッション入れるには良い寄り道だった。
精神世界から物質世界へ。
現実に戻るリハビリは大事だわな。などと思った。
なかなかの旅が出来たと思う。
これは歳三さんにお礼の手紙をかかなくては。
歳三さんへ手紙をもって、この旅行記の終わりとすることにする。
拝啓
歳三さん。いつもお世話になっております。
素敵な生き様を後世に伝えてくれた多くの方がいて、貴方を知ることが出来て嬉しく思います。
貴方に魅了されて止まない現代人がわたしを始め多くいるのです。
あの時貴方の見たいと思った日本はこんな現代かはわかりませんが、なかなか良い国でしょ、などと誇りたくもなるのです。
あの日野のお神輿を見せてあげたいと想いました。
フィクションも美化も含めて、わたしをこんなに夢中にさせてくれてありがとう。
出不精なわたしが一人旅など、なかなかない事です。
貴方を想うがゆえです。
もうすぐ貴方の命日ですね。
旧暦と今の暦とでズレはありますが、五月はいつも貴方を想います。
貴方とは一度もお会いした事がございませんが、沢山の出会いや縁のなかで、貴方を知ることが出来た事が何かの縁と存じます。
また貴方の軌跡をたどり、旅をすることでしょう。
これからもよろしくお願いします。
かしこ
おまけ
五年の時を経て、解放。
もったいなくてずっとタンスの肥やしとして温めていた。
満を持して本日おろしました。
土方歳三資料館で購入した史料を図録でまとめたもの。
先述の和泉守兼定の写真は、ここからの抜粋です。
次も、購入品のご紹介。
うどん(絵はがき付)とポチ袋2種は一日目の「日野宿交流館」にて購入。
この他に「井上源三郎ぶれんどコーヒー」なるものも購入したのだけれど、写真撮るの忘れて飲んじまっただよ。
(失策。)
うどんは乾麺で、フツーに美味しかったです。笑
クリアケース2種と石田散薬Tシャツと土方歳三資料館の史料図録は、二日目の「歳三の生家・土方歳三資料館」で購入しました。
どっぷり土方歳三を満喫した二日間でした。
コロナ禍も明けたようだし、またこんなコンセプチュアルな旅が出来るといいな。
おしまい。