コンプレックスで美しくなる?~自称・自分史上1番の美人時代を過ごす私~

私は美人に憧れている。

憧れている、ということは、前提に自分は美人ではないという現実がある。

 

そう思っている私は自己肯定感が低いのかも知れない。

(かも知れない、に留める。)

低いと自覚してるなりに、気をつけている事があり。

 

余りにも自分を卑下したりするのは格好悪いし、

慰め待ち?と会話相手に捉えられてそう指摘されっちゃったりしたら、羞恥心で死ねるくらい自己嫌悪に陥るので、

褒められたら返事は否定から入らない様に気をつけてはいる。

 

だって、よそ様だって会話のとっかかりでお世辞を言ってくださってるだけかも知れないし。

 

何てったって謙遜し過ぎるとスマートじゃない。

 

そんなわけで、プライドというか自尊心も高かったりする。

単にええかっこしいとも言える。

自己肯定感低めの、矜持が高めの人間。

 

そんな訳で、私の脳内は常に忙しい。

 

世間に対して自分をキラキラに魅せたい訳じゃ無いけど、不幸そうに見えたら嫌だ。

いつも機嫌良く居たいけど、いつもヘラヘラしてると、この人適当に扱っても大丈夫な人なんだろうな、なんて軽んじれそう。

 

世間じゃゴネる面倒くさいくらいの人間の方が丁重に扱われたりするんだよな。

解せぬ。

 

でもそんなゴネ得思考のヤバい人なんかと同レベルになりたく無い。

人畜無害でいたいが、舐められるのは嫌だ。

繊細ぶりたい訳じゃ無いけど、デリカシーのない強引な人とは距離を置きたい。

 

そうなのだ。

在りたい自分と他人からどう思われたいかはいつもせめぎ合い。

 

そして自己を律するのは、

こう在りたいという理想ではなく、

こんな人間になりたく無い、

という反面教師な他人だったり、露呈するダメな自分の一部だったりする。

 

そうは言っても、自分はこう扱われたいってばかり願うのも

何だか大人気ないし小さい人間だよなあ。

 

自分が自分が、って自己中心的過ぎやしないか?

器の広い人間になりたい。

でも、自分の欠点をいじられるのは笑って流せないし傷つくから避けたいし。

 

大切に扱われたいけど別にVIP待遇を受けたい訳じゃ無いんだよ。

私はただ、尊重されたい。

容姿が美人なら尊重される機会が増えそうだから憧れるっていうのも、もしかしてあるのかも知れない。

 

そして、尊重とは具体的にはどういった扱いか。

 

改めて考えてみたが、シンプルにまとめるのが難しい。

だが、自分から始めた話なのだから、そのくらいは話としてまとめたい。

レッツ・トライ・アバウト・尊重ライティング。

 

私にとって尊重されるとは。

 

最小限の言葉数で示すと。

「この人ちょっと変わってるけど悪い人ではないんだな。

こちら側に被害があるわけではないし、自由にさせてあげよう。」

って一定の距離を保って放っておいて貰いたい、

という事なのだな。

 

なんだ、チヤホヤされたい訳じゃないじゃん。

美人過ぎたら放って置いて貰えないじゃん。

尊重を語る上で美人であることを同じ土俵に上げない方が良いのかも知れない。

そう気が付いて軌道修正。

 

私の人間関係のスタンスとしては、

貴方様の機嫌がよろしいときに、

そして私もご機嫌なときに、

一緒に楽しく過ごせるのが理想です。

 

年に一回位、事前に約束取り付けて下されば機嫌を良くして準備をしていくので、偶に遊んで下さいね。

 

これが私の築ける人間関係の距離感の限界である。

一人で居たいときに一人になれる環境が何より大切。

 

孤独癖がある。

でも、丸っきり仲間はずれにされるのは嫌だ。

それを我が儘と呼びたいなら呼ぶが良い。

異論は認める。

 

それから私の自己採点方式というか、

自己評価を他人に話す際、自虐的とよく言われるが、

自分を不美人という前提で話すのは自虐的かも知れぬが、

美人であるという前提で話せるほど私の肝は太くない。

その結果自虐に陥る。

 

単にシビアに自己評価してるだけだと思っている。

 

私の脳内ではそれなりに「悪く無い(不美人ではない)自分」が存在しているのだが、

ふと鏡を見た時の我が身の阿保面さ・不細工さが自分を冷静にし、現実に引き戻すのだ。

 

キラキラした自分を脳内再生してる瞬間、ジャガイモみたいな自分を鏡の中に見つけたらズコーッ(昭和的表現)となるよね。

 

ちょっとだけ世の中のことをわかったフリしたって、気取ってオシャレしたって、所詮ジャガイモやカボチャに毛が生えた程度。

麗しい薔薇にはなれない。

 

だが、絶望してる訳では無い。

絶望なんざするか、そんなの暇人のすることだ。

というより、そんな時代は過ぎた。

絶望し尽くして、多くの時間を無駄にしたのだ。

無駄を繰り返さないように、頭が悪いなりに同じ間違いは犯さないように気をつけてるのだ。

 

美人じゃなくたって、頭が少し悪くたって、死ぬほどのことでは無い。

 

ジャガイモはジャガイモなりに、カボチャはカボチャなりに、自分を活かして生きてゆく。

ただそれだけのこと。

 

薔薇ではないのに分不相応の扱いを望むから不幸になるのだ。

というか、自分の要求した扱いを他人様に望むって何様だろう?

他人に命令するなんて、そんな面倒くさい人間関係は要らない。

私には私自身がついている。

私自身が私を幸せにすればいいだけのこと。

 

そんなの30年位前からラストアンサーが出ている。

ここまで言語化するのは初めてかも知れないが。

 

そもそも私は美に対する(美以外のことも)自我が目覚めるのが遅かった。

 

そこら辺の小学生女子ですら鏡を見て容姿に気を遣うことを当たり前にしてる年頃の時代、

その横で自分は自分の脳内の楽しいことを追いかけることに夢中で、寝癖など跳ねていようが、登校時に目クソがついてようが

(失礼。そこまでではなかった。誇張です。洗顔くらいはちゃんとしていました。)

鏡に映る自分の姿などどうでも良かった。

そもそも鏡すらちゃんと見ていなかった。

 

本当に、リアルガチに、自分って妖精とか精霊の類いだったと思う。

↑いや、ツッコみ待ちではなく、マジで。

人間世界のしがらみなど、なーんも感じてなかった。

 

人間の女の子としての感覚というか、おしゃまさとか、馬鹿にされないように自分を装うだとか、

そういうの持ち合わせてなかった様な気がする。

 

欲しいものは現実にはないの。

夢の中でなら自由自在に得られるものばかり私は持っていた。

だから現実世界で欲しいものなんてなかった。

多分。

 

現世(うつしよ)ではなく、夢の中をふわふわと生きていた。

 

(今も少しその傾向があることは自覚してるし、夢見る夢子ちゃんだとかロマンティストだとは私の本質を知るソウルメイトには言われる。)

 

他人がどうとか、むしろ他人にどう思われるかなんて、自分の振るまいについても鑑みる事などなかった。

 

それでも身近な家族親戚は大切に育ててくれたし、また変わったこと言ってるよー、面白い子だね、って済まされていた。

 

つまりは、周りの顔色を窺わなくてもありのままの自分を受け容れて貰えていた、恵まれた環境に居たからだと今になっては分かる。

 

美醜に関することで言えば私は面食いだし、

芸術を愛しているし、

ただ、それが自分自身の容姿である必要はない。

自分など、鏡を見なければいいだけのこと。

勿論、自分の目に映るものは美しいに越したことはない。

 

例えるならば、ギリシャ神話だかに出てくる美少年をさらって自分のお酒のお酌させる役目を与える神様の気持ちが理解出来る。

 

権力さえあれば、ただの顔の綺麗な中身空っぽのあの子を飼い殺しにしたいよね。

生かすも殺すも自分次第で自由。

ならばわざわざ自分の手など汚さずただ愛でるだけよ。

相手は対等じゃないのよ。

自分より弱いモノなど虐めても仕方がない。

てかイジメかっこ悪いし。

労って与えて幸せに囲ってあげるわ。

 

人格や中身になんか興味はない。

だって、多様性とか言ってる割に、人の個性なんかそんなに違いはないじゃん?(おおざっぱ。)

救いようのないほどの馬鹿は嫌いだけどね。そんなのもそんなには存在しないし。(少なくとも私の身近には。)

 

美しさを手に入るのなら、人間性のレベルとかそんな不確かなものより、(人間である時点でレベルは知れたものだ。)

絶対的な容姿の美しさで人を黙らせる気迫が欲しい。

(ある意味危険な思考回路?)

 

私は絶対的な美しさの前で言葉を失うことがあるし、ひれ伏すのが好きだ。

中身が空っぽの美形に対してですら憧憬があったりする。

(そんな中身空っぽな美形なんぞ簡単には存在しないが、物語の登場人物として想像するのが好き。

勿論、中身が空っぽなので美形でも主人公にはなり得ない。

せいぜい物語をちょっとだけ引き立てるモブあたりが相応。)

 

昔風のミステリー小説なんかに良く登場する、外見はもの凄く美しいのに頭が余り良くない浅薄な美人女優とか、モチーフとしては大好き。

勿論犯人役に成れるほどの才覚はなし。

才色兼備なんて贅沢。いいじゃない、外見さえよろしければ内面なんて多少残念でも。

 

その一方で美だけが絶対とは思わないし、秩序ある理を重んじたい。

柔軟すぎていい加減な人よりも正論を吐ける人、責任感の強い人、ならぬモノはならぬモノです。というお堅い意見が大好き。

 

問答無用でダメなモノはダメなのよ。

議論の余地など要らぬのじゃ。

凶悪な犯罪者に犯罪に至る背景と名前は与えてはならぬのと一緒。

安い同情は犯罪者の自己顕示欲を満たすだけ。

 

容姿の美というよりは、物事の美を愛しているのだろうな。

真・美・善。

これが私の愛する秩序のある世界の真実である。

 

私の心はアンビバレンス。

二律背反に当てもなく考えを巡らせたり、自分で悩みの迷路をつくって自分で悩みの迷子になるのがむしろもう好きなんじゃないだろうか。(これは知ってた。)

それが私の性格。

 

そんな訳で、悩みやコンプレックスが、私を想像豊かにし、自己を律する。

元がブサイクだからせめて身綺麗にしよう。

そうやってやっと美人に成る為の真実にたどり着く。

 

美に対する観念ばかり話しても仕方がないので、

次に具体的に頑張っていること・実践していることを紹介しよう。

 

日焼け対策・美肌維持はアフターメンテナンスではなく予防で。

最初から日焼けしなきゃケアも楽でいいし、肌荒れしないように食事と睡眠を気をつければお金だってかからない。それより普段食すものにお金を払いたい。

最近の朝食はオーツミルクにプロイテイン。食塩無添加トマトジュース。

日焼け止めは冬も常用。

晴天時の運転中の手袋・サングラスは必須。

お散歩は帽子必須。

はっきり言って、アウトドア・日に当たるイベント嫌い。

 

肌と髪と爪と歯と体型がそれなりに綺麗なら、無駄な投資もしなくて済む。

 

そしてダイエット。

常に痩せたい痩せたい言ってるけど、好きなだけ食べていたら太るんだから、最初から食べ過ぎなきゃいいんだし、最初から太らないようにすればいいだけじゃん。

とダイエットに悩む人からしたら怒られそうな暴言がモットーだったりする。

 

特に食べたくもないモノを食べたりしてに余分なカロリー取るのが馬鹿馬鹿しい。

食べ過ぎて、次の日から調整の為に食事を減らして、の繰り返しが無駄すぎる。

痩せなきゃ・体重戻さなきゃって、考えるだけでストレスフル。

 

冬から始めた食生活改善でスナック菓子とお酒をやめた。

(頂き物の珍しいスイーツや、来客時・外出時・イベント時の甘味とアルコールは美味しく頂きます。時間帯や量に気をつけて食べることにしてる。)

 

煙草は元々吸わないし。

止められない嗜好品はコーヒー・紅茶くらいかな。

偶に高カカオチョコレートは食すが。

(チョコレート大好き。)

 

てか、なんで今までやめれなかったんだ?

という位嗜好品に執着がなくなった。

喉元過ぎて熱さを忘れて、制限出来なかった頃が思い出せない。

 

依存性があるのよね、お菓子とお酒って。

つまりは砂糖とか小麦粉とかアルコール。

単なる習慣とも言える。

 

食事制限で言えば、

夜の炭水化物を抜くより、お菓子とお酒を抜いた方がてきめんに痩せた。

今現在も夜ご飯にちゃんとお米も食べて、少しずつ体重を落としてます。

お米大好き。

麺類やパンは元々そこまで好きでなかったのが幸い。

 

結果・約8ヶ月で4.5kg減。

四年前の、太る前の体重にめでたく戻りました。

パチパチパチ。

自分に拍手喝采を贈りたい。

 

このまま食生活改善を続けて、太る前の中で1番見た目が良かったと認識している体重まで、減量したい。

あとマイナス1.5kg位が目標だったりする。

 

運動について。

スポーツジムは毎回続かないからもう最初から入会しないことに落ち着いた。

(過去3回位は入会経験あり。)

元々運動好きじゃないし、通う時間がもったいない。

終わった後のシャワーとドライヤーの時間と着替えの用意が面倒くさい。

水も持っていくの重いし、ジムの酵素水飲み放題オプションとかつけ始めたり、シューズやヨガマットを置くのに個人ロッカーの契約を追加したり、料金にキリがなくなる。

 

マッサージについて。

エグい肩こり・ストレートネック持ちだが、

愛用のネックマッサージャーも最近壊れたし、通っていた近所の整体のお店も閉店したし、どうしたものかと思っていたが、

マッサージ店へ通えば通うほど・ネックマッサージャーを使えば使うほど・

コリが悪化していったのでそもそもの原因をつきとめて改善した方が賢明だと思い直した。

(マッサージ屋さんには悪いが生活改善しない人間の身体には所詮付け焼き刃。)

 

肩こりも首こりも主な原因はただのスマホの見過ぎだし、なんなら手首の痛みもスマホの持ちすぎだし控えめにすればいい。

 

姿勢の悪さと、運動不足に因る運動不足の所為かもと最初は思ったが、

そもそも整体の先生も筋トレよりストレッチが大事と言っていたような気がする。

 

コリの原因の生活習慣を改める・自分でコリをほぐすストレッチをする。

その分時間もお金も節約になったし家でのんびりストレッチしてたら他力にマッサージしてもらっていた時より調子が良いような気がする。

 

そして、身体の不調の原因って全部肩こり・首コリから来ているよな気がする。

 

首がつらいから始まり、

→仕事中のPC作業がツラいしストレス

→首がツラくて安眠出来なくて朝スカッとしない

→朝ツラいから食欲ないし、だったら食欲旺盛な夜くらい好きなモノを好きなだけドカッと食べたい

→そんでもってツラいから、マッサージとか美味しいモノとか自分を甘やかすご褒美がないと頑張れない

 

→結論:こんなんだから太りやすいし痩せない

 

そう気がついて愕然とした。

 

↑これが今冬から開始したダイエットする前の悪循環だったのだが、改めて文字に起こすと何故気がつかず長時間放置していたのか。

 

否、気づいてはいたが、自分に甘くて自分が太ったくらいでは誰にも迷惑かからないし、と見て見ぬ振りをしていた。

 

ダイエットして少し痩せて気分が前向きになったのか、不調について真剣に向き合う様になった。

 

以前まではストレスや加齢のせいだから仕方がないよね、と碌にに改善しようと考えもしなかったのだが、

 

余りにも体調が悪く・太った体重が戻らず・ストレスで段々健康診断のB判定やら要検査の項目が出現してきたのでびびってきたのだ。

 

病気になってまで自堕落な悪習慣を続けることに、執着はもうない。

 

好き勝手に節制もせずに過ごして、他人に自分の身体の不調を治して貰おうという他力本願が、

その責任感のなさが自分の不調を増長させていたような気がする。

 

決めたわ。私。

これからも、

自分で責任を持って心身共に健康で美しくなる!!!

 

結局、これなのだよ。

健康と美って繋がっているのだよ。

若い頃は無謀さと無駄も糧になるが、

歳をそれなりに重ねた不毛の年代には無駄は無駄にしかならない。

美と健康さは両立させないと後がない。

 

健康でいることをやめますか・人間やめますか・みたいなキャッチコピーの心境。

 

ていうか、人生っておばさんになってからの方が長いじゃねーか!怖っ!!!

 

と、銀魂のサブタイトルみたいな事をリアルガチに実感する今日この頃の私はマダオ(まるでだめなおばさんの略)。

 

マダオでも楽しめたら人生こっちのもんよ。

と開き直り中。

 

私の望みって、

身体に良い物を好きなように適度に食べて、

好きなお洋服を楽しめて、

多少疲れても身体が痛くない状態でお出かけしたい。

この三つに集約されるのだった。

 

ていうか、そこがちゃんと出来てたら、全然マダオじゃなくない?

なくなくなくない?

 

在りたい自分と他人からどうみられるかが、

とか当初言っていたが、

とどのつまり、自分に意識が向いていると外野が何も気にならなくなってきた。

他人に尊重されるより、私は私自身を尊重することに集中する。

 

そこで尊重とは・自分を大切に扱うことと結論づける。

 

人にどう思われようが、

自分が肩こり・首コリから解放されて、

健康的な食事をして自分の目標体重をキープして、

肌と髪が健康で綺麗で、

自分の足で歩ければ、

ストレスフリーで他に大した問題なんて何もないのだよ。

 

そう最近悟りました。

いや、大分以前から気がついていたような気がするが、身を以て体感したというか。

ほんと、体調不調やコンプレックスって学びをくれるよ。

 

そんな訳で、自己診断の結果。

私、自分史上・1・2位を争うくらい

今が美人です。

人と比べても本当にゴールがないから。

もう、そう自分で言っちゃうことにする。

 

体重は現在BMI20ジャスト位。

欲を言えば先述の通りあと1.5kg位は痩せたいが、

痩せても維持出来ないなら意味がないので、食べたいもの適度に食べて、その体重になれたら良いなーのスタンス。

 

これ以上食事は減らさないし、運動も頑張る気はない。

 

BMI18位だった時代もあったが、

その頃の自分の体型を思い出すと、

私は骨太なので脚は立派に太いまま、

骨盤が立派な安産体型なので当時腰骨がとがって出ていて、

胸の谷間の肋骨が浮いていた。

 

当時仕事で一日3万歩位歩いてて、一緒にランチを摂る同僚が面白すぎて笑っちゃってお昼ご飯が食べれなくて痩せた時期があった。

↑どんな理由だよ。

それで痩せちゃったので偶然の産物のシンデレラ体重だった。

BMI18はシンデレラ体重という。現BMI20は美容体重なので、数字だけ見れば今のままで十分ではある。)

 

私は身長170cm。

当時BMI18で52kg位。

 

無理に痩せたわけではなかったので体調は健康だったが、

上半身がガリガリだった。当時30歳を過ぎていたので問題ないが、未成年だったら危険域の一歩手前。

 

知ってる?胸の谷間って、骨が浮くんだよ。

横から見ると、痩せた犬みたいなシルエットだった。

ちょっとあれは成人女性としてはセクシーとは言えない。

ただ痩せても美しくなれないのは実証済み。

 

つまり、私の場合だが。

一日3万歩位歩いて一日1000~1400Kcalの食事カロリーをキープし続ければBMI18にはなれると、

どこまでやれば痩せれるかは加減は知っている。

 

が、一生継続しないとリバウンドするレベルなことも知っているので、そこまではやらないのが正解と思っている。

 

あばらも浮き出ずお胸もちゃんとキープしてるBMI18あたりの美のカリスマは一体どんな生活を送っているのだろう?

 

健康なら文句はないけど、危ないのはそれに憧れちゃう若い女の子。

 

そんな存在に憧れて、自分の生まれつきの骨格や体質を無視して、知識もなく真似しようとしたら拒食症になっちゃうわ、

若い子は本当に気をつけて欲しい。

健康でいられないくらいなら、痩せなくて良いよ。そこで失ったものは取り戻せないから。

 

体重はただの数字。

見た目に比例しないことも知っている。

身を以て学んだから。

 

それでもその数字を減らしたいなら好きなものを好きなだけ食べるのは諦めなくてはならない。

人生がただの数字に縛られて楽しめなくなるなら、

そこまで天秤にかけるべきなのか・そこまでの価値があるのか・

トータルで考えてみた方が良い。

 

話はズレたが、自分の美のランキングとしては

勿論年齢が20代位の内側から発光していた(今振り返ると、確かに発光していた。)時代の自分には敵わないかも知れないが。

 

そんな訳で現在は歴代1・2位あたりと発表させて頂く。

 

人と比べなくて良いよ。

自分史上の第一位を目指すのさ。

 

そう思って、毎日過ごすと機嫌が良い。

衣食住満ち足りて容姿の美しさ(自己判断可。)と健康を保てば、他に必要なモノなどないのかも知れない。

(あと、うちには猫もいるし。最高じゃない?)

 

とりあえず、今は人生で1・2位を争う位には幸せかも。

そうこのブログを書きながらお茶を啜ってしみじみするのでありました。

 

 

 

おしまい。

 

今回文字ばかりなので私の満ち足りた人生のお供である、

おまけの猫ブロマイド。

 

エントリーNo.1・しろー君。

 

我が儘ボディと青目がチャーム・ポイント。

寝坊助さんで、今日も午後に目覚めてブログ作成中の私の部屋に挨拶に来てくれた。

私のベットシーツに転がり、思う存分毛をつけて去って行くのがまた愛しい。

この角度だと模様で我が儘ボディがイマイチ分かりづらいが、

相当モフモフ。控えめに言って最高。

 

#ダイエット #美容の心得 #おまけの猫

 

エントリーNo.2・みにょん こと みーちゃん。

 

ツンデレ・暴君できっと自分を人間だと思ってる。

すごく喋る。

何て言ってるのかアテレコするのが私の趣味でもある。

毎夜、父と母の間で枕を並べて就寝する。

私の猫なのに、私より私の母をお母さんだと思っている。

 

非常に悔しい。

#おまけの猫

 

エントリーNo.3・ぴろ こと ぴこちゃん。

 

永遠の2歳児のような性格。

主である姉がブラック企業勤めで、休日がなく30日連勤をした際、

寂しかったのか

ハゲが出来ました。

頭頂部だけで失礼。

可愛くて愛しい写真だったもので載せます。

#おまけの猫 #飼い主不足でハゲが出来ました

ほんとに今度こそおしまい。

日野旅行記 歳三さんとわたし ~或いは、端午の節句によせて~

前書き

これは、2018年4月28~29日に東京都日野市を旅した際の旅行記録でLINEのタイムラインに掲載したものである。

(あり得ない程の長文で、LINEタイムラインの正しい使用法を無視しており、

自分の気持ちをを綴ることに注力・専念している、清々しいまでのエゴの発露となっている。)

 

それをちょっとだけ加筆・修正を加えてほとんど当時のものと変えず掲載させて頂く。

 

こちらで観光した場所等の情報は2018年当時のものですので、

2023年現在どういった状況になっているか分かりかねます。

実際これから行こうとされる方は、このブログを参考にし過ぎず、現在の情報を調べることを強く推奨致します。

あしからず。

 

 

さて、始まり始まり。

 

日野旅行記

歳三さんとわたし

或いは、端午の節句によせて

 

長文のため、以下注意

 

好きな歴史の偉人は誰ですか?

私なら、こう答える。

 

そう、土方歳三、と。

 

諸説あるが、旧暦の五月五日、端午の節句土方歳三の誕生日であるとのこと。

わたしと歳三さんの出会いは少女漫画「風光る」だったと思う。

 

風光る渡辺多恵子 「月刊Flowers」公式サイト 小学館

https://flowers.shogakukan.co.jp/work/311/

 

主人公は架空の少女と沖田総司なのだが、新選組を結成するきっかけとなる浪士組の募集の際、

現東京都日野市界隈の武州奥多摩近藤勇を道場主とする

試衛館から、後の新選組幹部ら面々が京へ上洛するのだが、

その上洛前の土方歳三の生い立ち、半生が滅茶苦茶面白いのだ。

 

手が付けられないバラガキだったり、

奉公先で恋愛事件を起こしてクビになったり。

ノンケなのに奉公先の番頭にケツを狙われたり。(18禁。失礼。)

かと思えば生家の家伝薬の原料を収穫する際、働く村人を統率する力が秀でていたり。

 

(歳三は土方家第10子の六男(諸説あり)で末っ子。

奉公に出たりもしたが基本・生家が豪農でプラプラしてても家族に可愛がられる。

 

母代わりの姉(両親は早く亡くなっていたため)の嫁ぎ先の佐藤家は日野の名主である。

歳三は穀潰しとして姉の嫁ぎ先でも世話になりそこでも可愛がられる。

うーん、私が尊敬する他の歴史上の偉人とはこの時点で何かか違う。)

 

プライド高くて、カッコつけてて、

でも結果勉強出来る秀才と言うより、非エリートで組織を大きすることしか考えてなく、実践の人でリアルにカッコいい。

 

つまり、キャラが立つのである。

 

風光る」の作者があとがきで、司馬遼太郎の「燃えよ剣」が滅茶苦茶面白いとのコメントをしていたのを見、手をつけたが最後、

どハマりしてしまった。

 

そう。「風光る」では

単に人として面白い、キャラが立つ〜との印象が、

燃えよ剣」では

漢も惚れるサムライ!そこにシビれる!憧れるゥ!

となってしまった。

 

そこから早10年。

(省略しすぎ。)

 

あらゆる新選組関連の漫画や小説を読み、

もうここまで史実の人間を弄っていいのか?という乙女ゲーム

(「薄桜鬼」グリー版(グリーって懐かしい!?)、

無課金

コンプに三年かかる。

土方ルートでは三回は死んだ。

沖田ルートでだって三回以上死んだかも。

つらくて、土方ルート→沖田ルート→斉藤ルート→原田ルート→藤堂ルートと、

死ぬ度違う攻略キャラでやったが、全員もれなく最低一度は死んでいる。

 

相手が死んで死別・自分が死んで死別・攻略キャラに殺される・自分も攻略キャラも死んで全滅、

ありとあらゆるバッドエンド。

 

乙女ゲームって、攻略キャラと両思いになれないと死ぬの?

 

という、間違った認識を私に植え付けた、今現在でも続編や新作がリリースされ長年愛される名作ゲームである。)

 

ありとあらゆる死別を体験させられメンヘラにされ、

そんな薄桜鬼に萌え、もう史実とフィクションの境が分からなくなり、

わたしの中の土方歳三像が膨らみ嘘か真か良く分からなくなり、

一旦冷静になろう。

そう思ったのである。

そして、

 

そうだ、日野へ行こう。

と思った。

(BGMはもちろん、「そうだ 京都、行こう。」で流れる「My Favorite Things」である。)

 

ずっと行きたかったのだが、これはオタクの聖地巡礼では?

と自分に戸惑いがあり、

じゃあもっとオタクにならないと敬意が足りないのでは?

と勇気が足らず、

でももう誰にも真意を明かさず一人で行けばいいじゃん?

と一人開き直り、

 

先日一人ツアーを決行したのである。

黙っていられず今ここで明かしたが。

ここまで来るのに苦節10年。

 

(ちなみに旅の資料は2018年から見て、五年程前に購入した「るるぶ薄桜鬼〜新選組ゆかりの地をめぐる〜」である。

 

ここから更に四年程前の京都旅行の際にも、これを役立てた。

二条城と池田屋はポカンとする友人達を尻目に無理矢理日程にねじ込ませて頂いた。

これしかわたしの需要に応えるガイドブックがなかったのだよ・・・

今回は表紙が見えぬよう、ブックカバーを手作りし、持ち歩くことにする。)

るるぶ薄桜鬼 #日野旅行記



この期間中は、奇しくも土方歳三資料館にて彼の愛刀、和泉守兼定が期間限定展示中。

しかも四月二十九日は生家の家伝薬、石田散薬手作り体験(整理券配布あり)?!

よし!土方歳三資料館は二十九日にしよう!

 

一日目〜二〇一八年・四月二十八日。

東京駅から中央線で日野駅下車。

徒歩十五分程の「新選組ふるさと記念館」へ。

 

新撰組ふるさと記念館1

まず受付近くに土方歳三沖田総司斎藤一の愛刀の模造刀があり、

受付のおねえさんが

「触ってみます?どれがいいですか?」って言って下さったので「でへへ。では土方さんのを」

と何故か過剰に照れ笑いを浮かべ、和泉守兼定の模造刀を手にする。実物と同じ重さとのこと。

和泉守兼定 #土方歳三資料館史料より



意外に軽かった。まあ、これに脇差も差して左半身に二本差しなら重いだろうけど。

骨盤が歪みそうよね。

武士はやせ我慢の生き物なり。

 

館員のおねえさんがお気遣いで申し出下さった写真撮影は丁重にお断りした。

既にオタクなんだが、オタクじゃないと思いたい自分の狭間で

揺れて揺れて揺れ動く(LUNA SEAのROSIERの歌詞ばりに)

わたしにとっては、黒歴史は記憶の中だけで十分だ。

 

写真に残しちゃ、ダメ・絶対。

 

本当は斎藤一の愛刀・鬼神丸国重(諸説あり)も触りたかった。

浅田次郎著書「一刀斎夢録」の斎藤一こと藤田五郎翁も渋くて大好きだ)

でも展示を見る前にお腹いっぱいになりそうだったので、やめておいた。

(萌えの消化不良。なんて虚弱なんだ。HSPだからか?)

新撰組ふるさと記念館2



だって、今回のメインは土方!!和泉守兼定は明日は本物も見るんだもん!

もう、立派なテーマパーク。

一つ一つの展示物を噛みしめるように見、だんだらの羽織を着て写真撮ろうコーナーの誘惑を(再び)振り切り、

次の目的地「日野宿本陣」へ徒歩で。

#日野宿本陣1 #東京都日野市



土方歳三の姉の嫁ぎ先で、歳三からみて義兄の佐藤彦五郎が日野宿の名主(町長さんとか、知事みたいなもの)を務め、

彦五郎は後に新選組の強力な支援者のひとりとなる。

 

甲州道中に現存する本陣はわずか3つで「日野宿本陣」はその中の貴重なひとつ。

 

歳三が昼寝した部屋、沖田総司が相撲のぶつかり稽古をした柱、箱館戦争の最中・和泉守兼定を持ち帰った小姓・市村鉄之助を匿った部屋・・・。

 

ガイドさんも市村鉄之助が命からがら日野宿を訪れたエピソードにはついつい熱が入ってしまう様子。

(わたしも胸熱で聞いていた。)

#日野宿本陣2

#日野宿本陣3




そして明治が明けて、戊辰戦争の責任の恩赦後、明治天皇が僥倖された部屋(現存せず)のエピソードを聞き、滅びの美学に思いを馳せる。

#日野宿本陣4

そこで勧められた斜め向かいにある「日野宿交流館」でお土産を数点購入し、

 

次の目的地「八坂神社」向かいの中国家庭料理屋で

餃子定食とシークワーサーサワーで昼食を摂る。

安くて居心地の良いお店だった。

#日野のランチ1

#日野のランチ2

昼からお酒と餃子、サイッコウだぜい!!!


「八坂神社」は天然理心流(近藤勇が継いだ試衛館の流派)の奉納額があるらしいが、今回は公開日ではないためサラッと参拝、一日目は終わり。

#八坂神社



夜は現地に住んでいるお友達と、友達の行きつけのこじんまりした飲み屋でレモンサワーを呑んで、

2軒目のカラオケで椎名林檎の「丸の内サディスティック」を熱唱。

 

「終電で 帰るって~ばんいっけんぶうくろおおおおん♪」

 

東京で電車の旅をしたら、椎名林檎東京事変よ。

 

ちなみに友人の締めの一曲は「たま」の名曲「さよなら人類」。

例の、「ついたーーー!」という箇所を悦んで合いの手を入れるわたし。

ハグして、豊田駅の改札前で別れる。

良き一夜であった。

 

二日目、四月二十九日。

ガストで朝定食を食べ、中央線立川駅から多摩モノレールに乗り換え万願寺駅下車。

 

残念ながら、コインロッカーが空いておらずスーツケースをがんらがんらと引き摺り「土方歳三資料館」へ。

土方歳三資料館への道

土方歳三資料館」は歳三の生家であり、今も子孫の方がお住まいになる一般の住宅の一部を資料館として開館日のみ展示というスタイル。

土方歳三資料館1

閑静な住宅街に長蛇の列があり直ぐあそこか!と分かった。

 

九時から配っていたと言う石田散薬手作り体験の整理券は案の定終了しており、

石田散薬体験の長蛇の列が!

そう!長蛇の列の正体は石田散薬体験のせい!

 

恐るべし石田散薬知名度

 

一般の住宅に「土方歳三まんじゅう」売りのテントまで出張っており、もう何が何やらてんてこ舞い!

 

自分ばかりオタクと恥じたが、とんだ杞憂だった。

みんな、みんな、オタクばっかりやー!(歓喜。)

 

これで石田散薬手作り体験までやったら、わたしが心身ともに保たない。消化不良を起こすに決まってる。

 

わたしはそこらの推し活上手な乙女のように、サラッと楽しむ事が出来ない。

全身全霊で萌えを吸収して頭に血が巡らなくなるのである。

酸欠で脳死出来る。

体験できなくて助かったと結論づける。

土方歳三資料館2



おじさまもいたけど、断然若い女の子の集団が多かった!

女一人で来てるのはわたしくらい。

受付で快くスーツケースを預かって頂いて、イモ洗い状態で展示見学。

丁度館長の土方愛さんのガイドの時間だったため、混んでいた様子。

(もちろん館長さんは子孫の方です。土方家を継いだ歳三の兄の直系の方。)

 

他の展示は諦めても、和泉守兼定だけはじっくり拝みたい!

と粘り、空いたタイミングで何とか間近に見る。

そう言えば日本刀をちゃんと見るの初めて!

 

おじさまたちは刀剣をみる目がそこらの乙女とは違かった。

 

乙女達はなんだか、ゲームとかアニメの話をしながら見ていたもの。

刀剣乱舞も流行っていたものね。

 

おじさまはやはり大和男子の血が騒ぐのだろうか。

わたしも乙女達寄りの目線ではなく、おじさまと同じ静かなるフィーバーなマインドで刀と鞘と拵えに魅入る。

 

人を沢山斬ったであろうが、凶々しい念は感じず、もう神具の域の神々しさを感じた。

(土方推しの欲目かな。でも、妖剣みたいな感じは全くなかった。)

 

他展示は落ち着いて見れなかったので、資料集を購入、

ついでに石田散薬Tシャツ(紺)も購入。スタッフさんが着てたのが素敵だったのでつい。

 

だが多分、一番の原因として石田散薬体験の長蛇の列を見て洗脳されてしまった気がしてならない。

石田散薬Tシャツ まえ

石田散薬Tシャツ うしろ

売り子のおねえさんが来てたサイズを参考にして、Mサイズを購入。

帰宅してから着てみて、サイズが丁度で安堵。

紺と思って買ったが、着てみると黒だった。

黒も格好いいからいいけど、黒と紺って見分けが難しい。

 

まえプリントのロゴは、山丸印といって、家紋(土方家家紋は左三つ巴。右三つ巴の説もあり)とは別に土方家の道具・什器類につけられた印。

 

歳三も京へ上り新撰組を結成する前の日野時代に、家業の石田散薬を行商するのに、山丸印の入った薬箱を愛用している。

 

庭には、歳三が武士を志す決意表明でもある、幼き頃植えたという矢竹があった。司馬遼太郎の小説にも出てくる。

土方歳三資料館3 #矢竹

意思の硬さ、頑固さが垣間見えもう愛おしいくらいだ。ついニヤニヤしてしまった。

(末期症状。)

熱気醒めやらぬまま 土方歳三資料館をあとに。

 

スーツケースを引き摺り、大汗かきながら仲間や家族でバーベキューやら、お弁当広げるリア充で賑わう多摩川沿いをえっちらおっちら歩き、

次の目的地「高幡不動尊金剛寺」(高幡不動尊)へ。

前者「」が正式名称で、なのにわたしが(高幡不動尊)と覚えていたため、なかなかスマホのナビで探せず、日野市で貰ったガイドブックが役に立った。

 

アナログ万歳!

 

金剛寺」は土方家の菩提寺

重要文化財がやたら多いので、せっかくなので有料エリアの不動明王坐像なんかも見てきた。

 

新選組で日野出身の土方と、六番組隊長の井上源三郎ゆかりのもの、箱館政府の高官の書なんかもあった。

 

わたしは断然戊辰戦争箱館戦争土方歳三の真骨頂と考える。

なので京での全盛期より、敗走して北へ向かった戦歴に滾る。

それ故に箱館政府の高官の名前が出るとボルテージが急上昇するのである。

総裁とか、陸軍奉行並とか、役職名がツボなのである。

 

折良くその日はお祭りのようで、奥殿を出ると丁度お神輿がでていた。

高幡不動尊金剛寺1

お神輿担ぐ男は五割り増しに格好いいな、

とふんわり考えお神輿を見遣り、新選組記念碑と土方歳三像をパシャパシャと撮影。

高幡不動尊金剛寺2

高幡不動尊金剛寺3

高幡不動尊金剛寺4

不動堂をお参りしようとしたら、階段登る際にスーツケースを引っ掛け脛から転び負傷。アイタタ。厄除け参拝しようとしていた集団に目撃されてよりアイタタタ。

 

 

ここでも「土方歳三まんじゅう」の圧がすごくそれにつられて町の通りに出てニヤリとし、

高幡不動尊金剛寺界隈 #高幡まんじゅう

 

道端に建てられた新選組ゆかりの方の辞世の句が見られる碑を見て厳かな気持ちになり、

(特に二十三歳位で亡くなった最年少幹部、

藤堂平助の句

「益荒男の 七世をかけて 誓いして ことばたがはじ 大君のため」

に琴線を掻き鳴らされた。

この時代って、皆が皆、強い気持ちで日本を憂いている。

私の二十三歳の時なんて、子供だったよ。

恥ずかしいくらいの幼さ。

わたしも大和男子に生まれたらこんくらいの国を守る気概の句を詠みたいものだ。)

 

この気持ちを引きずって、京王線高幡不動駅を目指ししんみり歩く。

祭りの喧騒と対比しての、しんみり。

貴方達が在ったから、この平和で栄えた町が現存してお祭りしてるよ、ありがとうございます。

などと心の中で手を合わせたり。

 

まだまだ沢山ゆかりの地はあれども、なにせ歴史のネガティブな面も多々見るのはエネルギーが奪われる。

なので今回はこれにて新選組ゆかりの地をめぐるは終了。

 

京王線で新宿まで戻り、東京メトロで銀座下車。

銀ブラし、お茶しをしようと向かったピエール・マルコリーニも、マリアージュ・フレールも長蛇の列だったので入店を断念し、トリコロールという老舗っぽい喫茶店でコーヒーを飲み

(後日仙台に行ったら仙台藤崎だったか仙台三越だったかに系列店があった。別に良いんだけど、地元にないお店がよかったとちょっぴり思ったり。もちろん行列なんかに並びたくないけどさ。しょんぼり)

トリコロール

ギンザシックスを覗いて予定にないバック(See by Chloeにて。当時好きなブランドでしたわ。)を購入し、帰路へ。

 

銀座も混んでたけど、歴史巡りから現実に戻るのに、ワンクッション入れるには良い寄り道だった。

精神世界から物質世界へ。

現実に戻るリハビリは大事だわな。などと思った。

 

なかなかの旅が出来たと思う。

これは歳三さんにお礼の手紙をかかなくては。

歳三さんへ手紙をもって、この旅行記の終わりとすることにする。

 

拝啓

歳三さん。いつもお世話になっております。

素敵な生き様を後世に伝えてくれた多くの方がいて、貴方を知ることが出来て嬉しく思います。

貴方に魅了されて止まない現代人がわたしを始め多くいるのです。

あの時貴方の見たいと思った日本はこんな現代かはわかりませんが、なかなか良い国でしょ、などと誇りたくもなるのです。

あの日野のお神輿を見せてあげたいと想いました。

フィクションも美化も含めて、わたしをこんなに夢中にさせてくれてありがとう。

出不精なわたしが一人旅など、なかなかない事です。

貴方を想うがゆえです。

もうすぐ貴方の命日ですね。

旧暦と今の暦とでズレはありますが、五月はいつも貴方を想います。

貴方とは一度もお会いした事がございませんが、沢山の出会いや縁のなかで、貴方を知ることが出来た事が何かの縁と存じます。

また貴方の軌跡をたどり、旅をすることでしょう。

これからもよろしくお願いします。

かしこ

 

おまけ

石田散薬Tシャツ着てみた

五年の時を経て、解放。

もったいなくてずっとタンスの肥やしとして温めていた。

満を持して本日おろしました。

 

土方歳三資料館

土方歳三資料館で購入した史料を図録でまとめたもの。

先述の和泉守兼定の写真は、ここからの抜粋です。

 

次も、購入品のご紹介。

 

土方歳三うどん

#ポチ袋

#クリアケース1表

 

#クリアケース1裏

#クリアケース2表

#クリアケース2裏

うどん(絵はがき付)とポチ袋2種は一日目の「日野宿交流館」にて購入。

この他に「井上源三郎ぶれんどコーヒー」なるものも購入したのだけれど、写真撮るの忘れて飲んじまっただよ。

(失策。)

うどんは乾麺で、フツーに美味しかったです。笑

 

クリアケース2種と石田散薬Tシャツと土方歳三資料館の史料図録は、二日目の「歳三の生家・土方歳三資料館」で購入しました。

 

どっぷり土方歳三を満喫した二日間でした。

コロナ禍も明けたようだし、またこんなコンセプチュアルな旅が出来るといいな。

 

 

おしまい。

美人の大足~靴のあれこれ・春編~

春が来た。

 

ギリギリ花粉症持ちではないものの、毎春目に異物感を覚えいつ発症するかとビクビクしている。

散歩してても埃っぽいし、最近シミが濃くなってきて、でもファンデーションは合うモノがなくて憂鬱だし、問題点が多々ある。

それでも春は血湧き肉躍る感覚でウズウズする。

私も正しい自然の一部。

 

そして春を感じ最初にすること。

 

そろそろ靴を衣替えだな。

 

冬しか履かないブーツ4足を納戸に収納。

代わりに夏しか履かないつま先の開いたパンプス、サンダル2足、夏色のフラットシューズ2足、色鮮やかな布のエスパドリーユを玄関の靴収納に出す。

(この時点で冬モノの数量をオーバー。)

夏物は数が増えやすい。

靴のバリエーションが豊富だからなのかも知れない。

 

私は身長170cmの大女で、足のサイズが25cm~25.5cmの大足女である。

しかも幅広甲高。

好きな言葉は

「3E」である。

(足囲のこと。足幅が大きい人しか意識したことのない言葉ではないだろうか。)

 

足に合う靴と出会うと一期一会!!!となり、すかさず購入する。

それ位、靴との出会いは大切にしている。

アパレルの店頭で売っている靴は、ほぼほぼ入らない。

(ご存じでしょうが、服屋で扱う靴はS,M、L表記。ほぼ22.5~24.5cm、酷いときは24cmまでの人間しかお呼びではない。)

 

あとは、32歳位まではパンプス(ヒール5cm位まで)を愛用していたが、急にデカい自分が堂々と履いていることが恥ずかしくなり、フラットシューズを愛用するようになった。

 

そこでストレス。

フラットシューズって、スタイル悪く見える。

 

だが、ヒール5cm以下の、サイズ25cm以上のパンプスを探すのが面倒になって。

購入しては足が痛いと1~2回履いては手放し。

もういいや、とパンプスを新たに購入しなくなってから早8年程経過した。

 

そして、今秋、久しぶりに膝丈スカートを購入して、フラットシューズを合わせたら。

 

脚、太。

そして、短。

なんか、デブに見える。

 

どうして、お金出して買った服でデブに見えなきゃいけないの。

と不満タラタラ。

 

私は、決めた。

脚が痛くならない5cmヒールパンプスを再び求めてさすらおう!と。

 

手始めに、某靴の通販のサイトを覗いていた。

アウトレットモール等にも出店してたりする、おなじみのお店である。

おほっ21.5~26.5cmまで扱っている!!

こりゃパラダイス。

しかも5000~15000円あれば大抵の靴が買える。

 

ありがてえ、ありがてえ。

信仰深い江戸っ子のように涙を流し感謝する私であった。

 

試しに、以前いいなと思っていた靴が再販していたので、購入してみた。

お、しかもアウトレット価格になっている。ラッキー。

 

ポチッとな。

本当は淡い春色のローファーを探していたのだが、

そういやローファー合わせるアイテム着ないかも、と思い直し

(高校生からこっち、私服にローファーを持ってなくても支障なかった。使っていたのは黒パンツが制服だった販売員をしたとき位だったな。)

スクエアトゥのレースアップのバブーシュを購入。

ヒールは1.8cm。

色はキャメル。

 

2日ほどで届く。

 

届いた感想。

うん。キャメルにしてよかった。

(他色・黒(本革調)、ピンクのようなパープル(スエード調)あり。)

春夏使う目的なので、正解だった。

 

アパレルショップの靴で25cm迄のモノを履くと、デザインにより足の横幅パンパンで、試着の時点で靴が痛むのを懸念して最後まで足を突っ込めない私。

25.5cmを購入してみた。

 

…デカい。

ちょっとゆるゆるだった。だが通販でかかとまで覆う靴を25cmを買う勇気が出ない。

 

私の好きな言葉、「3E」。

足囲のサイズ、10段階のなかのサイズのことである。

 

つまりは足のサイズは「縦幅」は25cmなのだが、甲高幅広のため横幅がむっちり。甲がパンパンでアッパーを侵食する勢い。

本革なら慣れれば伸びそうだけど、合皮なら傷むに違いない。

 

そこで足囲が「3E」のものを選べば25cmで丁度なのだ。

だがそんな都合良く「3E」という足囲が記載されている商品はそんなに出回っていない。

 

かと言って25.5cmにすると縦幅がスカスカで踵が擦れて、エグい靴擦れを起こす。

 

そうよね。そんなそんな既製品がぴったりって事ないわよな。

私より足が小さな方達だって、きっとそういった微妙な合なさは悩みとして抱えているに違いない。

 

お分かりだろうが、靴は緩くても歩くのに負担がかかり、踵の靴擦れだけでなく、足裏にへんなマメができたり、足首から膝下がおかしな疲労が蓄積されたり。

骨盤に負担がかかり腰痛になったりも経験済み。

合わない靴のデメリット、半端ねえ。

 

歩きにくい靴は、万病の元、どんなに安価な靴でも履かなくなると無駄遣い。

 

これは、インソールでアジャストしてカスタマイズするしかない!!!

(無駄にカタカナ語多用)

 

私は調べた。

インソールについて。

 

うーん、100円ショップでもインソールは豊富。

昔、パンプス用の滑り止めも兼ねた透明のシリコンのクッションなんかも買ったことがあった。

歩きづらくて使わなくなったが。

 

素足でパンプスはもう履かないだろう。(汗かきなので素足にパンプスは無理)

 

若い頃はつま先の出てるパンプスやサンダルにストッキングを履いている女性をダサいと思っていたが、

もう、気持ちが分かる。

オシャレより快適さを選びたいわよね。

 

インソールで調節するよりは滑り止めのついた靴下を合わせた方が歩きやすそう。

そんな訳で、滑り止め付き靴下も探しさまよったことも経験済み。

 

滑り止めついてる薄い靴下、もっと増えないかなー。

 

ガテン系の5本指ソックスなんかにはよく滑り止めついてるけど、薄い靴下だと浅履きパイル地のやつ位しか見かけたことない。

 

ネットで偶に滑り止めつきニーソックスもみかけるけど、ニーソックスって歳でもない。

40歳おばはんの脚(しかも美脚でもない)の絶対領域など、うっかり見えちゃったら嫌よね。

誰が見たいか。

自分でも見たくない。

 

滑り止め&歩きやすさアップのいいアイテムをご存じの方、ご一報下さい。

 

さて、インソールに話を戻そう。

 

インソールとは説明は要らないかも知れないが、靴の中敷きである。

衝撃吸収、O脚矯正、防臭、低反発、高反発。

100円ショップですらこのバリエーション。

 

ありがてえ、ありがてえ。

(江戸っ子アゲイン。)

 

とりあえず、以前買って使ってなかったベージュの通気性のいいインソールと、未開封の黒いインソール(防臭に特化。)を持っていたので

(倉庫勤務の時代、防臭と冬の防寒対策で購入していた)

 

今回は、靴擦れ防止とサイズ調整を兼ねた踵側にいれるタイプを、ベージュ・黒の2色を購入してみた。

(100円なら何でも2個買うクセがある。)

 

ドラッグストアでもとてもメディカルなインソールが揃っている。

ひきしめ・美脚メイクやでおなじみの「メディキュット」の会社のインソールが、バリエーション豊富に置いてあった。

(ドクター・ショールという社名のようですね。)

 

ネットやAmazonで色々検索した結果、

あの有名な中国産の服飾サイトの500円位のものやら、

医療メーカの6000円だの1万円越えのだのやら。

ほんと、ピンキリ。

 

うん。これは今後注目していきたい。

足が浮腫むこともないし、酷使もしないのでフットケアグッズって最近チェックしてなかったけど、

美女って、そういう細部・先端に気を遣っていそう。

 

私は元々身体が疲れやすくストレス耐性が低い甘えんぼ精神。

最近体調が芳しくないこともあり、より健康には気を遣うようになった。

 

美からの観点、というよりは健康観点なのだけれど、いい歳になると目的は自ずと健康目的発となることが増える。

 

健康ならば美は自ずと付いてくる。

それが中年。

 

美脚が欲しくて努力したことはないが、

(中学生時代から階段を1段飛ばしに上ったり、踵を外してつま先だけで階段のステップを上ったりはしていたが、ふくらはぎがムキムキに太くなっただけでした。

あえて言うならコレだけが行った努力。

筋肉はつきやすい体質である。)

 

健康の為なら足・脚の探究心は芽生える。

 

運動が嫌いな私ではあるが、大好きな散歩を億劫に感じるような不健康にはなりたくない。

私から散歩を取ったらもう何も身体に良い趣味が残らない。

 

そんな訳で、オシャレ靴のサイズ調節用・健康増進散歩用にフォーカスしてしばらくインソールを研究しようと思う。

 

昔から高身長や大足に対してコンプレックスだったけれど、転じて不都合を快適にするにはどうすればいい、という考えを深める良い機会になった。

私はいつもそうだ。

コンプレックスが、私を思慮深くさせてくれた。

なので悩める万人よ。

コンプレックスって、悪いことばかりじゃないんだよ。

克服するために思考が深まり、行動するようになるから。

 

もちろん行動しないとコンプレックスはこじれちゃうので、取扱注意だがね。

 

さて。

もうすぐ東北も桜が咲くなー。

 

花が咲いたら、オシャレな靴を歩きやすく調整して、お出かけするんだーい!!!

楽しみだなあ。

 

最後に、今回の話のタネのグッズ達を紹介。

 

最近お気に入りの靴の通販サイト

オリエンタルトラフィックオンラインストア

https://ec.wa-jp.com/

 

今回購入した靴もついでにご紹介。

 

#オリエンタルトラフィック #バブーシュ #インソール



うーん、可愛い。

あとはインソールで調節する!

 

ベージュのインソールは昔買ってしばらく使ってなかったもの。

クッションが効いていて通気穴があるので、0.5cm位大きいならこれ+かかと側に靴擦れ防止クッションを入れれば歩きやすい靴になりそう。

 

こういうローヒールの、バブーシュに合わせようかと靴下も新調。

可愛いラメ入りのシアーな靴下を3種購入しました。

3coinsのものです。

 

#シアーソックス #3coins #春ソックス

ゴールド・シルバー・青寄りの濃い紫の3色。(写真だと濃い青に見えますが、肉眼だとちょっと紫がはいってます。)

 

3coinsのねー、ソックスはほんとオススメなのよ!

靴下専門店なんて、意外にレディースソックスが22cm~24.5cmとかまでしか置いてないの。

大足の女は可愛い靴下履けないのかよ!!!???

といつもキレ気味になる私。

 

でも、しまむらと3coinsは大足に優しいから好きー!

ユニクロも25cmまではあるので、偶に購入。J&Wアンダーソンコラボのソックスが最近はお気に入り。

そんなわけで、ソックスは大体この3店で購入することになる。

 

最近購入した靴擦れ防止グッズ2種類

ダイソー

#インソール #靴擦れ防止パッド #ダイソー

 

ちょっと昔に購入したインソール、これもダイソーだったかな。

また大きめの靴を買ったらコレを使ってみよう。

 

ここ2~3年靴擦れ防止に愛用してる布テープ

ネクスケア伸縮する布テープ #3M #靴擦れ防止テープ

 

ドラッグストアで購入してます。

以前紹介したマルジェラのバレエシューズ、意外と靴擦れするのでコレを踵と親指の付け根から甲の関節辺りに貼ってます。

適度な長さに切って、4枚くらいを沢山歩くお出かけの際には持ち歩いている。

もちろんお出かけ前に踵に貼りますが、予備も持ち歩くようにすると安心する。

余談ですが、TABIバレエに合う靴下を求めさまよったこともある。

マルジェラのTABIソックスはなんと1万円とかする。

ohhhh・・・。

(もちろん購入してません。ステッチとか、ラメとか、素敵なんだけどねー。)

なんだかんだで足袋ソックスも3coinsで丁度いいものをみつけ、

ほんと、素敵よ!3coins!!!

となりました。

 

靴擦れ防止で好きな靴を我慢しなくて良いって、本当に快適!!!

 

もう当分、靴は大きめを買ってインソールやパットで調節するワザを使うことにする!!!

小さい靴だけはどうにもならんもんな。

 

健康は足下から。

 

健康もオシャレも諦めず、春を満喫したいものです。

 

 

おしまい。

3月11日によせて~forget it,let it go~

東日本大震災から12年経ち、

記事を残す勇気がちょっとだけ芽生える。

 

人間には癒える傷と、癒えない傷がある。

 

どちらかといえば、この件は癒えない傷である。

 

癒やすことばかりが救いではない。

癒やされなくても、遺したいものがある。

遺したいものを明確にして伝えて、初めて忘れることも自分に許せる。

忘れることすら許されなかったことを、

忘れるために、書く。

 

忘れることを、許そう。

自分も、他人も。

 

救いとはそうだと、私は信じている。

 

サブタイトルの

forget it,let it go は直訳すると

忘れよう、手放そう

というところ。

 

昔から大好きな沖縄出身のシンガー・ソングライターCoccoが2001年に休業する際に特集が組まれた音楽雑誌、「SWICH」のタイトルから頂きました。

今でも読みたくなる特集記事です。

Coccoの歌と詩は私の感受性に大いなる影響を与えましたのでお借りしました。

 

忘れることを許す、という

自分の解放という意味も込めました。

 

ちょっとだけ私語りをする。

私は宮城県亘理(わたり)郡・亘理町出身である。

 

最近話題になった佐藤厚志氏の芥川賞受賞作、「荒地の家族」の舞台でもある。

地元愛ゆえ、いても立ってもいられなくなり、購入したが読了前。

この作品の感想を語るのはまた別の機会に譲りたい。

 

ともかく、我が故郷を分かりやすく全国へ向け説明するとこの一言で説明できる。

 

我が生家は自転車で10分も走れば鳥の海。

海の近くには野球場。

地元の草野球チームやお年寄りのグランドゴルフが活き活きと活動していた懐かしい場所。

荒浜海水浴場は、幼い頃よく海水浴に行った。

仙台市若林区の荒浜とはまた別の地です。)

 

震災後、親だったか祖父母だったかが言ってたな。

 

「浜」がつく地名は津波の危険が高い地域だと。

私たちが住んでいたのは「大畑浜」と言う地区だった。

住所ではなく、地名として残っていた名前。

私が幼い頃は「部落」と呼んでいた。

差別用語と混合するので、現在は使われなくなっているが。

部落っていう響きがいい意味でしっくり来る土地柄。

名称というのは言い換えが出来ないものだと思う。

意味として、作用するだけ。

揶揄するでも、差別するでもない。

ちゃんと意味があって名付けられて、受け継がれていた地名だった。

 

再開発が進んで、忌むべき地名を変え、未来に危険性が伝わらない懸念はすごく理解できる。

どんなに縁起が悪くとも、先人がつけた名前には意味がある。

決して、軽んじてキラキラネームなどにつけ変えてはならない。

モノの名称には役割がある。

消すことで引き換えに出来ないほどの厄災があるのだから。

軽んじてはならない。

 

今では件の野球場は防災公園。

こんもりとした避難用の丘は、巨大なお墓にしか私には見えない。

 

新しく植えられた防風林の、背丈の短さが津波の跡を物語る。

 

震災の前の実家付近の防風林はおばあちゃんの庭で、祖母はキノコ採りの名人とご近所さんからも評判だった。

祖母はそれらを始末して、仙台の市場に商いによく出ていた。

祖母は自分の縄張りは、絶対に誰にも教えなかったそうだ。

山菜を採る人たちって、自分にとって良い場所は他人に教えないって聞くからな。

 

その頃の、まだ若い祖母の写真を2021年の葬式の写真を選ぶために見た。

好きな商いをしている、喜びに満ちた笑顔で写っていた。

(実家は津波で全壊だったので写真はほとんど残ってないが、親戚が提供してくれた。)

 

最近は曾祖父の日露戦争出征前の写真をもらった。

凜々しい若い曾祖父。

父親が

曾祖父はエリートだったんだぞ、日露戦争は誰でも出征できるような人選ではなかったんだぞ、

と少し誇らしげに教えてくれた。

(曾祖父は無事に帰還し私が生まれる大分前、昭和30年に亡くなっている。)

古いフィルム写真を、最近の印刷用紙にプリントした曾祖父の写真は、私が精一杯できる限りの装丁をしてリビングに飾った。

こんなに格好良い曾祖父の写真を飾らないなんて勿体ない。

そう思ったのだ。

つい最近のことである。

#ご先祖さま

ほーら、うちの曾祖父様かっこいい。

お隣は昭和61年に97歳で亡くなった曾祖母様の遺影。

瓦礫の中から救い出した遺影を、崩さぬように取り出しやっと新しい写真立てに入れる。

思いのほか心の整理となった。

 

これが大分

 

先祖を辿ることは自分のアイデンティティにとって大きな役割を担う。

足下よりもっともっと確かなもの、魂の核の部分が真っ直ぐ定まるような感覚だ。

 

自分の命は自分1人のものじゃないと実感する。

 

私は何度も死にたいと思ったことがある。

高校生から20歳代後半にかけては顕著に。

 

理由などなかった。

ただ生きているのがしんどかったから。

他人に語れる死を想うエピソードなど取り立ててなかったから、誰にも言わなかった。

死ぬ死ぬ言って生きている状態なんて、私のプライドが許さなかった。

そんなに簡単に言える内は、絶対死ぬヤツなんていない。

自分の言動を軽く扱う気などなかった。

 

死ななかったのは、先祖や親世代が繫いでくれた自分の命が自分一人のモノではないと知っていたからだ。

そして、東日本大震災で生き残ったからには、私が死ねないのはもう運命だと確信した。

 

震災で生き残ってからは罪深いと思えて、自分で自分の命を絶ちたいと思うことは禁じていた。

 

さて。

話を戻すと。

祖母の庭だった、その防風林は夏でも湿って暗くて、

でも嫌いじゃなかった。

小さな頃は、その防風林を抜ければ海への近道と知っていたので、道なき道を通って海まで行った。

落ちた松葉に育てられた肥えた土の、苔の匂い。

つるつると滑る松葉の地面。

五感が今でも覚えている。

 

私は海の恩恵を五感で感じて育った。

恩恵が違う顔で被害をもたらしたからと言って、海を恨む気持ちは芽生えなかった。

 

でも。

 

よく通っていた鳥の海も高い堤防に囲われて海が見えない。

高校生の頃、気持ちが落ち込むと夜中に海まで自転車を漕いで通ったりした。

 

堤防を見るのはつらい。

でも見に行かずにはいられない。

彼岸の墓参りのついでに、わざわざ哀しい思いをしに堤防に寄ってしまう。

 

この景色が、嫌いだ。

なのに、見に行ってしまう。

 

生家の家業はいちご農家だった。

沿岸部の小型ビニールハウスでつくるいちごは、東部道路より内陸部のものより甘くておいしいと評判だった。

美味しい理由は、海の風や砂地の畑が作用しているから。

いちご農家だった両親は誇らしげにそう教えてくれた。

 

海へと抜ける防風林のすぐ手前にあった。

母が嫁いできたくらいの頃は、側の用水路では蛍が見えて、林に狐も棲息していたとのこと。

私は狐が近所にいたという話を、ワクワクして聞いた。

その辺の狐はその後流行病があって絶滅したと聞いた。

 

(両親と姉夫婦はいちご農家をしていたが震災後農家をやめ、健在です。

祖父母も震災を生き延びて、寿命で亡くなりました。二人とも90歳を超えた大往生でした。)

 

さて。

震災当日の話をしましょう。

被災当日は家人はいちごのビニールハウスを閉め

(日中は空け、夜間は閉める管理が必要な小型ハウス)

その後最寄りの小学校に両親・祖父母・姉夫婦は避難しました。

 

指定避難場所ではなかったのでその避難先にまで津波は到達。

車を捨てて、徒歩で更に内陸の避難所へ行ったそうです。

 

その徒歩での避難で祖母はすっかり参ってしまい、避難所では一時期寝たきりになってしまいました。(車椅子を借りて避難所のトイレに連れて行っていた。)

その後、足腰は復活したのですが、その日をきっかけにか痴呆がすすんでしまいました。

 

母方の祖母も、震災の直接の被害は免れましたが、避難先から意識不明になり、胃ろうをして去年まで生き延びましたが一度も意識を取り戻さなかったです。

 

唯一の救いは、叔父(母方の祖母から見て末息子)が津波で行方不明のまま葬式を出されたことを知らなかった事かも知れません。

 

命は助かったけれど、二次災害のようなものは目の当たりにしていました。

避難の後の、避難関連死というものを防ぐために用心することは大切です。

 

命さえ助かれば、というのはある程度健康で若い人の話かもしれない。

お年寄りというのは、本当に私たちの計り知れない部分で弱い。

母方の祖母は苦労が多い人だった。

自分の楽しみを何も享受しなかったと、母が嘆いていた。

 

こんなこともあり、私はすっかり以前の死にたい気持ちなど忘れてしまったのである。

 

私自身は仙台市中心部の会社に勤めていたので県庁に避難し、

3日後くらいに仙台市内の友人を頼って家族がいる亘理町の避難所へ身を寄せました。

(携帯電話のEメールは何とか受信できて、家人が無事なことはわかっていた。そして家人が避難する場所は検討がついていた。)

友人はその際貴重だったガソリンを並んで何とか給油して、私の送迎に使ってくれた。

 

家人と合流はしたが避難所の集団生活が私には合わず、

折良く会社の同僚の家で1人位なら受け容れ可能だからおいで、と誘ってくれたので、家族と別れ1人で仙台市内に避難しました。

私は一人でいる時間がとても大切。

誰の目にも触れない場所を作ることは精神衛生上どうしても必要なことでした。

 

その時はわがままでも誰から責められても自分の気持ちを優先することにしたのです。

もちろん、誰も私を責めたりしませんでした。

 

衣食住が最低限保証されても、お金があっても、

それでは足りないことは私は痛いほど知っている。

むしろ、足りないそれらがあれば、お金は数字でありそれ以上でも以下でもない。

 

通勤の為駅前駐車場を借りていた為、そこに駐車していた私の車は無事だったので、私の車は家族にのこし、身一つで同僚の家に向かいました。

(正確には同僚の70歳台の母が一人で暮らしているおうちでした。)

 

その後3ヶ月居候し、自転車も借りて通勤していました。

初対面のT家のおかあさんとは不思議に意気投合。

親切だけど個人主義で自立していて、田舎のご婦人の馴れ馴れしさなど皆無。

そこも私には居心地がよかった。

(T家のおかあさん、Mちゃん、ありがとうございます。また近いうちお会いしましょう。)

 

散々お世話になって明るいT家のおかあさんに癒やされて、その時期は楽しく暮らしました。

 

自身の慰みに、仙台駅前のファッションビルで綺麗なお洋服を予算の許す限り沢山買い、

気に入ったネックレスやピアスを買い、

川原泉の漫画の文庫版を新品で全巻購入しました。

アルコールだって我慢せず飲みました。

 

身一つしかないんだから身綺麗にしよう、と思い、

スナック菓子や嗜好品を絶って(お酒以外)

沢山自転車や徒歩で移動し、震災前はちょっと太っていて24%位あった体脂肪は20%位に減。

ブラックジョークだが、これが被災ダイエット。

 

被災地で治安や何らかの事情で、娯楽や嗜好品の持ち込みを禁じることがあるというニュースを

トルコ・シリア地震のツイートをきっかけで知りましたが、

 

嗜好品ほど心を慰めるものはない。

(私は依存したら怖いと思い、食べ物の嗜好品やお酒は控えてましたが、

洋服や漫画は我慢しませんでした。)

 

いつもの普通の生活にあったものこそ、届けることは大事です。

もちろん救助の方を邪魔するようなことはあってはなりませんが、

アルピニスト野口健さんが、トルコ・シリア地震だけではなく2016年の熊本地震などの支援の際、

嗜好品を差し入れいていた逸話をきいて、

被災者の身体だけでなく心を大事にする方法を存じ上げてるな、と嬉しくなりました。

 

熊本地震の際は嗜好品の差し入れについて不謹慎だのなんだのと意見は飛んだようですが、

そこは理解すべきだし雁字搦めにすることはないと思います。

 

地獄みたいな被災地で、それらに直接関わる当事者は、

他人に迷惑かけたいとも思いません。

静かに好きなお酒を傾けたり、煙草をふかしたりするだけです。

 

そしてトルコは東日本大震災の際、日本によくしてくれた国です。

忘れずに、恩を返したいと思っております。

 

さて。避難生活のはなしの続きですが。

2011年6月には仮設住宅が完成し、住まいが決まったので亘理に戻りました。

 

その派生で、

うちの先祖や家系や、町の話をちょっとだけしたい。

 

私の記憶だと、生家は曾祖父の時代から住んでいる家だった。

すぐ近所には祖父の兄弟である大伯母や、祖母の兄弟の一家など、はとこや又従兄弟など沢山親戚が住んでいた。

 

祖母は昔の話や戦争の話や家系の話をよく私に聞かせようとしていたが、私は何故だか怖くって全力で抵抗した。

 

今思えば、「聞いておけば良かった。」

 

私は大きくなってから日本史に興味を持った。

 

宮城県亘理(わたり)郡は、古くは貝塚が出るほど昔から人が住んでた地域。

小学校の頃課外学習で貝塚は連れて行かれたけれど、さっぱり覚えてなかったし興味もなかった。古墳だって見せられた。でも余り覚えてない。

 

文献上で亘理の名が出てくるのは なんと718年!

日本書紀に出てくる地名、葦の浦が亘理だって記述もある。(1056年!)

平安時代、亘理権大夫・藤原経清の所領があった。

三十三間堂の跡地って何か知らなかったけど、これのことか!

と最近知った。

源頼朝亘理郡が与えられたと記述もある。(1190年。)

 

仙台藩が誇る伊達政宗重臣

(私は政宗のいとこだと習ったけど、資料がみつからない。歴史通の方、間違いがあればご指摘下さい。)

伊達成実(しげざね)を初代藩主とする、亘理伊達氏の城下町だ。

そして代を重ねて、

戊辰戦争仙台藩降伏調停の地となった。(亘理城跡・元亘理神社。)

 

亘理城主14代・伊達邦成(くにしげ)は北海道・伊達市に家臣を連れて開拓しに移住した。

邦成は伊達市の礎を築いた。

北海道伊達市とは姉妹都市である。)

そこで亘理伊達家の武士の歴史を終える。

(詳しくはJR常磐線亘理駅すぐ東隣にある、郷土資料館へ。ものすごい歴史資料が無料で見れる。お金払っても見たいレベルのものでした。)

 

私は知らずに幕末・戊辰戦争箱館戦争の話に異様に惹かれて、歴史小説を読みあさっていたが、こんな近くにものすごい題材があったとは。

司馬遼太郎の「燃えよ剣」が大好き。)

 

外にばかり目を向けている場合などではない。

会津が、長州が、薩摩が、なんて言ってる場合じゃなかった。

(もちろん、会津戦争の悲惨さには涙を呑むし勝てるとも思わないが)

 

地元に、ものすごい歴史があった。

私は愕然とした。

 

亘理神社には戊辰戦没の碑・戊辰殉難五十年祭記念碑・大東亜戦争忠霊塔などがある。

 

戦争に負けるとはどういうことか。

その苦悩や受難がありありと感じられる。

 

私は、大人になってから戦後日本を支えたじいちゃんばあちゃん、先祖達の恩恵で今の快適な日本人としての生活をしていることに気がついて愕然とする。

海外の親日家の日本に対する敬意や好意や、現代日本のインフラなど。

 

これは私たちがつくったものではない。

あくまで、先人たちの遺した遺産なのだ。

 

いま日本はそういった遺産を使い果たそうとしている。

そういった危機に気がつかず、指を咥えて遺産を享受するしかない日本人は滅びるしかないのだろうか。

 

例え負けるとわかっていても、戦わないといけない人たちがいたのだ。

その人たちに戦争の責任を押しつけ、尊厳を奪う、後ろ足で砂をかけるようなものたちは、本当の日本人ではないのだ。

 

ばあちゃんの話を聞かなかった後悔とは。

そういう意味のものである。

 

ともかく、第一次情報が生きているうちに操作されていない資料を見て、見聞を広め、大和心を守らねばならぬ。

 

あんなにあんなに、おじいとおばあが伝えようとしていたのに。

身近で聞ける第一次情報があったのに。

 

愛国心と先祖を敬う気持ちを捨てたら、日本は滅びる。

日本が滅びて喜ぶ奴らなんかに、明け渡してはならない。

 

話は震災の話だったが、この話がズレてるとも思わない。

 

日本を滅ぼすのは震災などではない。

戦争でもない。

我々自身のアイデンティティを日本の不利益を喜ぶ奴らの為に捻じ曲げることだ。

個人の欲のために母国を売ることだ。

そしてその行為に気がつかないことだ。

命が残ったとしても、矜恃を捨てたら滅びるのだ。

 

今すぐ分からなくてもいい。

じいちゃんやばあちゃんが死んだ後に、気がついた私のように、

他人大勢が気がつくべき時を待つこともひとつの手段だ。

その為の種を蒔くことをやめてはならない。

 

私は東日本大震災の被災者で、体験者で、第一次情報の持ち主だ。

 

はっきり言って、震災メモリアル建造物は見たくない。

震災を特集した特別番組など観たくない。

ないけど、

意義はないとは言えない。

 

修学旅行で行った、広島、長崎。

広島の原爆ドームで聞いた語り部のはなし。

 

大人になってから旅行した沖縄・ひめゆりの塔

未だに新しく名前が刻まれる慰霊碑。

 

そういったものを観て、見たからといって、

戦争を憎んで災害を憎んで、

タブー視して終わり?

否。

そこで立ち止まることは許さない。

いや、私が私自身に許さないだけだと思う。

 

私たち日本人は、傷つけられても、傷ついても、

生き残ったからには、誇り高く生きねばならないのだ。

 

命とは、生きている本人だけのものではないのだ。

遺ったものには使命があるのだ。

大きくなくて良い。

ささやかでもいい。

 

平和とは、戦争を放棄さえすれば得られる安っぽいものではないのだ。

 

日本人は、史上類を見ない敗戦の仕方を経験してしまって、本当の敗戦国の尊厳のなさを経験していないがゆえ平和を軽く扱ってはないか。

 

自分を、親を、先祖を、そして子を思えばこの先の日本は無条件降伏など出来ない。

あの時日本を遺してくれた人たちに、顔向けが出来ない。

 

戦争や災害を自分以外の誰かに伝えて、語り継がれて、平和の意味を正しく認識して、

 

そうして初めて語り部

忘れることを自分に許すのではないかと思う。

 

伝えるのは忘れるため。

 

忘れることを許して自分を解放するため。

 

震災は復興すれば終わりじゃない。

 

私はただ、復興した日本を、

昔の日本も今の日本も愛しているから、

生き残った私たちで台無しにすることだけは、耐えがたい。

 

でも、神風を吹かすような奇跡の力は私自身にはないことは知っているから。

 

粛々と、生きる。

必死で自分に出来る手段で抗う。

最期まで、目をかっぽじって見開いて、

つらくても目をそらさない。

 

そう決めたのは、そうはっきり自覚したのは、

震災だけがきっかけではないけれど、

大きな原因とも言える。

何とも皮肉であります。

 

私の強い祈りに箔がついた。

今日の所、震災に良い面があったと無理矢理定義するならば。

そこに限る。

 

もちろん、こんな箔など身につかなくとも震災など起きなかった方が何万倍も良かったとは思うけど。

時は戻らないしもう振り返らないから。

後悔があったとしても今はもう無いと言いたいから。

 

今しか人は生きれないから。

私は今日も生きている。

生きていることを謳歌する。

 

最後に。

 

忘れよう、手放そう。

つらいことを忘れたからって、大切なものを蔑ろにするほど、私たちは愚かではないはずだ。

 

過去の教訓よりも、

今が大事。

今を愛おしもう。

 

3月11日に寄せて。

 

 

 

おしまい。

HAPPY BIRTHDAY TO ME~ショコラとわたし~

私は2月14日で4○(ピー)歳になる。

バレンタインデイ生まれというキャッチーな日柄ゆえ、他人から憶えていて貰えることは多い。

が、過ぎてから、

 

あ、誕生日だったね、おめでとう。

なんて祝福されることもある。

 

そうかいそうかい、皆当日はバレンタインデイなんてリア充イベントに夢中で私の誕生日などお忘れですかい。お幸せなことで。

 

↑なんてことは、ちょーーーーっと位しか考えたりもしますが、

身体年齢がかさむのはしんどいな、とは感じますが、

誕生日自体は何歳になっても嬉しいことであります。

 

そんな2月14日の起源を少しだけ解説させて頂く。

 

2月14日の誕生石はアメジスト紫水晶)。

語源はギリシャ語のアメダスト「泥棒から身を守る」と言う意味から。

その語源に由来し、中世までは禁酒・禁煙のシンボルとして用られたり。

現代では「誠実」「純粋の愛」のシンボル。

 

うーん、私にぴったり。

 

誕生花はクロッカス。

クロッカスは、3世紀の殉教者・聖バレンタインに捧げられた花。

そうです、バレンタインデイの起源になった聖人です。

 

ローマ皇帝クラウディウス2世は、富国強兵策として兵士の結婚を禁止。

ところがキリスト教司祭のウァレンティヌス(バレンタイン)は兵士を次々と結婚させたため皇帝が迫害したという。

皇帝が禁止したに関わらず、ウァレンティヌスは毅然とし屈しなかった為、最終的には処刑されてしまします。

彼の処刑はユーノーの祝日であり、ルペリカリア祭の前日の2月14日があえて選ばれ、

そしてルペリカリア祭に捧げる生贄とされたという。

 

これが甘くない聖バレンタインズデイの起源であります。

 

キリスト教圏ではこの日大切な人に贈り物をすることになっている。

昔読んだアメリカを舞台にした漫画では、男性が女性にバラの花を贈っていたなあ。

成田美名子さん著の「ALEXANDRITE」(アレクサンドライト)という作品です。「CIPHER」(サイファ)って作品の続編・スピンオフ作品みたいなものですが、2作とも大好き。オススメ。)

 

ご存じでしょうが、女性から男性にチョコレートを贈るのは日本のチョコレート会社が始めたイベント。

定着したのは1970年代とのこと。

大田区の製菓会社メリーチョコレートカムパニーが原邦生であるという一説がある。

(日本のいろんな説がありますので、興味があったら調べてみてね。モロゾフとか、森永とか、ソニープラザ説とかあるみたい。

そら、ウチが一番最初よ!って譲りたくないよね。)

 

この日に派生して3月14日ホワイトデーがありますが、これは日本、中国大陸、韓国、台湾あたりだけでやるイベントのようですね。

ぶっちゃけ、お菓子会社のプロモーション。

これも別に悪いことではないけれど。

ハロウィンもクリスマスも大和民族にかかれば起源など意に介さないお祭りイベントなのだ。

 

それで、いいのだ。(バカボンのパパ。)

 

私は25歳位の頃から、自分の誕生日プレゼントと称してサロン・デュ・ショコラというバレンタインのチョコレートのイベントで好きなショコラを買うことにしている。

 

私の歴代の彼氏達(片手で数えるほどでほんの短期間しかおりませんでしたが)は、皆甘い物が苦手だったり、食べ物に執着の浅い人たちばかり。

 

そんな人たちに4粒2千円~5千円のチョコレートをあげても、リアクション、薄。

贈り甲斐が、ない。

 

しかも、そういう人たちって、お返しをくれなかったり、スーパーで買える500円位の駄菓子しかくれなかったりする。

 

別にお返しが欲しいわけじゃないけど、テンションはだだ下がり。

そういうことで、相手への愛情も下がっていく訳です。

(こういう気持ち、わかるでしょう?)

 

パートナーの愛情のリアクションがイマイチと思っているそこのアナタ。

原因って、結構そういう単純なことの積み重ねなのよ。

 

それはそうと、高価なチョコレートをあげるということは本当に自己満足に過ぎないのだな。

なんて結論が出ましたので、相手が求めてるかどうかもわからない、高価なチョコレートを贈るというイベントは卒業しております。

 

私自身も好きなモノが限定されているので、そういった自分の好みじゃないものを貰っても、という気持ちはわかる。

プレゼントは、貰うことではなく贈ることが醍醐味とわかっていても、相手が心から喜ぶかどうかは大切でしょう?

 

高価なチョコレート=相手が本当に喜んでいるのか?

という疑問には早めに気がついて、

無駄なことは辞めよう、とそう結論した。

相手に贈ることメインのバレンタインデイは辞めちゃいました。

 

してやったのに、あげたのに、

返して貰えない。

そういう相手の気持ち(または相手のキャパやポテンシャル)を無視した見返りを求める行為ほど不毛なモノはない。

 

私の周りの男達は悪気はないが、人に施す事を知らぬ男が多数だったりする。

でも別に期待など最初からしていないから、

そういう人なんだな、きっと母親の躾が至らなかったのだな、

としか思わない。

(お母さんの所為にしてごめんなさい。)

 

もう!気が利かないんだから!

って相手に直接言えてプリプリ出来たら、それはイチャイチャに含まれる。

 

気が利きすぎる男はあちらこちらで浮気する。それよかマシだと思っとこ。(偏見?)

 

実直・率直。

そういう人間が性別問わず好き。

女は実直・率直+気が利く・気がつく。

それがスタンダード。

 

私の女友達は皆気が利いてセンスが良い。(自画自賛?)

そういった女達と同レベルの贈り物を、男から貰うことを求めるのは、相手に気の毒というもの。

 

男は気が利かないくらいが可愛いと思っとこ。

(自分のいうことさえきいてくれれば別に多少の気は利かなくても許すって感じ。

↑何様?でも正直な感想です。)

 

そう思っておけば平穏泰平。

 

こういう恋愛の醍醐味を(相手との合わなさ・面倒くささ・不便さ)を楽しいと思えないと、恋愛する資格はない。

 

いった・いわない。

いわなくても分かれよ・そんなの知るか。

そんなゴタゴタが醍醐味とな?

 

ひとことで言えば

 

恋なんて・いわばエゴとエゴの・シーソーゲーム・yeah~~

(Mr.Children シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~ より)

なのだな。

やっぱ名曲って永遠のスタンダードを歌ってるのだのう。

 

そんな訳で男女平等などあり得ないし、同質でないことは当たり前で、差別になりえない。

おかしなフェミニストとは一線を画す考えの私ではある。

 

平等など要らぬ。

違いを認め合ってお互いの分からないことは分からないなりに干渉せず遠慮して考慮して配慮して、尊重し合えばよいのだ。

私、間違ってないよね?

 

さて。長すぎる蛇足から始まったが、

HAPPY BIRTHDAY TO ME

なのである。

 

そうなのよ。

彼氏がどうあれ、私には私がいるじゃない。

私を喜ばせる術に長けている私自身という存在。

彼氏が高価なショコラを喜ばないとしても、

私自身は大喜び。

だったら、自分が喜ぶショコラを自分にプレゼントすれば、万事解決・無問題!!!

 

そんな訳で、2月14日には

親愛なる私へショコラをプレゼントをする日である。

 

今回は

大好きなショコラティエ、二店から購入。

 

一店目は、

ミュゼ ドゥ ショコラ テオブロマ

スペシャリテ2023

タブレット ノアール オ ノア

奥渋チョコレート ハチ

を三点購入しました。

写真は上記順。

テオブロマ #スペシャリテ2023

テオブロマ #タブレットノアールオノア

テオブロマ #タブレットノアールオノア #裏面

テオブロマ #奥渋チョコレートハチ

奥渋チョコレートハチは気に入って、毎回リピート。
ビターなチョコと生地がたまらん。

 

タブレットもビターが好みなので、ノアール(黒)を選んだ。

食べるの楽しみ!!!

 

スペシャリテは、その年のセレクションボックスってことね。

私は味覚の許容範囲が余り広くないので、冒険ができない。

セレクションボックスなら間違いないだろう、とそんな感じで毎回買うようにしております。

 

以前のブログ、「カンカンが捨てられない~骨まで愛す・カンカン愛 前編~」

でもご紹介しましたが、15年位愛し続けているお店です。

 

カンカン~ブログで紹介したとおり、パッケージも可愛いんだな。

お菓子のパッケージって、可愛いからいいんだよな。

 

渋谷の本店に何度か行こうと試みましたが、方向音痴で一向に辿り着けず。

そんなわけでサロン・デュ・ショコラやアンテナショップで見かけた際は即買いしてます。

 

ネットでも購入出来ますが、そういうんじゃないんだよ。

店頭で見て愛でて購入したい。

生菓子をイートインしたい!!!

テオブロマの系列店にジェラテリアもあるし。

テオブロマジェラテリアは東京の神楽坂にある。

私はピスタチオ味やチョコレート味のジェラートに目がない。

ジェラートですらオンラインで買える時代だが、そうじゃないんだよ。出かけたいんだよ。

 

神楽坂って、田舎者の私じゃあちびっちゃうようなハイソな街では?

普段だったら、そんな尻込みする私が勇気を出して出向くには最高のエサなのだよ。好きなお店って。

 

美味しいモノのためなら、勇気が出るのです。

 

愛するショップのジェラートの為になら、きっと出かけられる!!!

 

いいかげん、携帯アプリのマップも進化しているので、暖かくなったらまたリベンジに出かけてみようかな。

(携帯アプリのナビって、どっちに歩いてるのか分からなくなる。

そんで、勝手に「到着しました」って案内が終了する。

ちょっとちょっとおおお!着いてないよお!!!どこにあるの!私の行きたいお店!!!

ってなる。)

 

ともかく、次に東京へ行く際には、テオブロマの3店舗を巡るツアーを組もう。

 

そしてそして、4年ほど前のサロン・デュ・ショコラで購入したのが土屋公二さんのショコラについての書籍。

ファン過ぎてショコラにとどまらず本まで購入しちゃいました。

ショコラティエが単にチョコレートを作るだけの人ではないと、感動したのはこの辺から。

テオブロマ #土屋公二さん著書 #ショコラ

テオブロマ #土屋公二さん著書 #ショコラ裏面




原材料を愛することは、日本・海外だけではなく地球や環境や経済活動を考えることにも繋がるんだな。

私もショコラを愛し続ける為に、地球のことちゃんと大事にするよ!!!

(小学生みたいな元気の良さで宣言します。)

 

【公式通販】テオブロマTHEOBROMA

https://www.theobroma.co.jp/

 

おまけの製品。

今日近所のスーパーに行ったら

テオブロマ土屋公二さん監修のショコラプリンをみつけたり!!!

もちろん即買いしました。

いいよね。誕生日だもの。

賞味期限に余裕があるのが有難い。

テオブロマ #土屋公二さん監修#ショコラプリン

テオブロマ #土屋公二さん監修 #ショコラプリン




あー、この時期は食べるものが沢山あって忙しい忙しい。

体重と体調と胃の空き具合に気をつけて、美味しく頂かなくちゃ。

 

 

 

二店目。

ル ショコラ ドゥ アッシュ にて

ショコラユニバース

ショコラアマンド

の二点を購入。

 

オーナーシェフ辻口博啓さんはよく色んな会社とコラボしてる。

昔、辻口さんとコラボしたロッテのトッポ、食べたなあ。キットカットとかもコラボしてなかったっけ?(記憶が不確か)

 

調べてみたら、最近だとマルコメとコラボしていた。

砂糖不使用・糖質50%オフのスイーツ粉

なんてありました。

うーん、気になるう。

私、砂糖不使用とか低糖質とか、グルテンフリーって言葉大好き。

 

先に紹介したテオブロマ土屋公二さんと同様、名だたる賞や経歴をお持ちである。

どちらも日本人のショコラティエ、を超えた活動をされている面々。

詳しく各ショップのリンクの、シェフの紹介のところを見てね。

 

ショコラティエって、チョコレートを作るだけの人じゃないっていうのがわかって目から鱗がポロポロ。

その仕事や活動にただただ尊敬するばかりです。

同じ日本人として誇らしいです!!!

 

ル ショコラ ドゥ アッシュに話は戻りますが、

ショコラアマンドは、購入当日、お世話になっている友人と会う用事があったので直ぐ渡したので写真はなし。

 

10年ほど前のサロン・デュ・ショコラで砂糖不使用のショコラ・アマンドを購入して食べて、余りにも美味しかったので再度購入してみた。

もちろん大分年月が経っているのでリニューアルはされているだろうが、あの時の感動を味わいたくて。

 

10年以上感動を覚えさせてくれるなんて凄いことだと思わなくって?

(思わず貴族的な口語文になる。)

写真はショコラユニバース。

名前からしてスケール感ってばよ。

#ルショコラドゥアッシュ #ショコラユニバース

#ルショコラドゥアッシュ #ショコラユニバース




砂糖不使用とか、そういった言葉に弱い。

ショコラもビターなものが好み。

 

先に紹介したテオブロマでもビターなものばかりを選んでます。

チョコレートが甘いというモノという認識は、初心者であります。

ビターの良さが解る私はそろそろ玄人と名乗りたい。

名乗っていいよね?

 

ちなみに、私はカカオ70%以上のビターなチョコレートを食べると、くしゃみがでます。

カカオ・ポリフェノールに反応するのかな?

これって私だけ?

同じ反応が出る方、いるのか聞いてみたい。

 

こちらのショップのパッケージは、全体的にクール。

うむ。中身に自信がおありのようですね。

余計な飾りは要らぬと。

そういった武士道とお見受け致します。

日本刀のような実用性と美術品としての価値という所でありましょうか。

(私はそう受け取った。)

 

ル ショコラ ドゥ アッシュ

https://www.lcdh.jp/

 

そしてル ショコラ ドゥ アッシュといえば。

 

私は宮城県住まいなので、

2022年4月に仙台市若林区に出来た商業施設「アクアイグニス仙台」の店舗に興味津々。

こちらの店舗は2022年7月にオープン。

残念ながらまだ行けてないのだけれど、近いうち必ず行くんだ!!!

ケーキ・焼き菓子・コンフィチュールが楽しめるお店ですって。

ショコラしか頂いたことがないから、楽しみ!!!

究極の地産地消を実践してる、とのコンセプトのようです。

 

参考記事

仙台南つーしん アクアイグニス仙台に究極のショコラトリー「ル ショコラ ドゥ アッシュ」がオープン! ↓

https://sendaiminami-tusin.com/le-chocolat-de-h/

 

コンフィチュール ドゥ アッシュ・ル ショコラ ドゥ アッシュ ↓

https://aquaignis-sendai.jp/restaurant/sweets.html

 

 

 

そうなのよ。

ネットじゃダメな理由。

生菓子やその店舗で見てこそ食べたい!となったものをその場で食べたいのよ。

いわば、そこで食べてみていいな、となったものをネットでも買えるならリピートするのよ。

 

食べたいものがある場所こそ、出不精の私の足や尻を軽くするのよ!!!

 

あー、考えるだけでいと楽し。

 

 

 

最後に。

そんな訳で今回の私のお茶の友は、

テオブロマスペシャリテ2023 でした。

テオブロマ #スペシャリテ2023 #ショコラ

大事に大事に。まずは左から2粒で。

 

おまけ

今年の誕生日ケーキ

 

ショコラの紹介ではなく恐縮ですが、私が小さな頃から食べている地元のケーキ屋さん。

 

船橋屋。

船橋屋 #ケーキ

焼き菓子や和菓子も製造していて、

本店は福島県南相馬市にあるみたいですが、ずーっとお世話になってるケーキ屋さん。

もっともっと華やかなケーキもあるけれど、我が家は定番ばかり購入。

写真は

モンブラン×2

チーズトルテ、

お星様ケーキ。

 

家族4人分購入しました。

 

お星様ケーキは船橋屋のオリジナルね。

 

お星様ケーキは私のもの。

大好きなお星様ケーキ。

船橋屋 #お星様ケーキ

紅茶とコーヒーを丁寧にいれて、ダブル飲み物で頂きました。

このカップだと丁寧には見えなくて泣く。

新撰組のマグカップは10年ほど前京都で購入。局長・副長・総長・参謀・1~10番隊組長幹部の名前入り笑。お気に入り。)

 

でもやっぱり、美味しいお菓子にはコーヒーより紅茶が合う。

お菓子の味を邪魔しない。

 

とどめの萌え断!!!

船橋屋 #お星様ケーキ

小さな頃は、底のココア生地がほろ苦くて苦手だったけれど、

大人になった今はほろ苦さが上の生クリームと相まって

最高です!!!

 

私の思い出のケーキ。

大人になっても会えるって、かけがえのないことであります。

これからも大事にしたい味です。

 

改めて

HAPPY BIRTHDAY TO ME!!!

 

これからもよろしく頼むよ、自分。

 

おしまい。

年の功はコンプレックス~恋愛できない女の考察・おまけの今年の目標とダイエットの経過報告~

小さい世界も世の中の縮図なので

小さい世界こそ気をつけないと。

油断出来ない・気が抜けない。

 

藪から棒に急に話が始まったが、私は18歳高卒で社会人となった。

 

初めて社会人として働いた職場は、お母さん世代が多くて、皆親切で、

そして私自身も若くて可愛くて気遣いが程々に出来て、明るく真面目で、

自画自賛でしょうか?でも、今の自分から見ると、中々の良い子だったと思うんだが。)

そして何より、気がつかない振りが上手だった。

 

自分を舐めさせて下出に出て解らない振りをしておけば、平和が保たれる。

本能でそう悟り、面倒に巻き込まれないよう注力していた。

 

あ、煙たい雰囲気だな、距離を置こうとか、

あ、ここで悪口に賛同すると後々巡り巡って面倒が起こる、という事に関して華麗にスルーが上手く出来ていたような気がする。

 

特に仕事場等で理不尽な勢力図やマウントをスルーできないと絶対病む。

何処にも属さない。

そう無意識に決めている自分としては、頼みの綱はスルー力

 

もちろん明るく楽しい裏表のない人たちの集まりは大歓迎。

自分を利用しなくとも可愛がってくれる年上の女性の方達は大好きだった。

もちろん、おじ様方にも可愛がって頂けていたので、楽しい場では全力でサービスしていた。

 

忘れてなかったのはいくらおじ様と言えど、オトコ。

恋愛対象に見られると面倒なので、純真なアホの子

(演じていたわけではなく九割九分九厘は地だが)

ポジションで平和を保つ。

他人様のアヴァンチュールや火遊びは見て見ぬ振り。

自分に火の粉がかからぬゴシップは、耳年増で遠くから聞く分には嫌いじゃない。

むしろ、面白かった。

堅い人間と受け取られるだろうが、仕事場に恋愛中心で来ている人とは距離を置きたいので警戒していた。

仕事も出来て恋愛も出来て、という人は中々いない。

ほぼほぼ公私混同である。

私見。)

恋愛話を仕事場でおおっぴらにする人は、そして仕事場で周りに気遣わせるような社内恋愛をしている人は、わりかし仕事の手を抜いている。

(私の偏見。)

もちろんやることやってれば、言うことはない。

私は上司じゃないんだ。例え上司でもいちいち他人様のプライベートには口出しせぬ。

 

恋愛は人を狂わせる。狂った人間から謂れのない嫉妬ややっかみを受け苦労してる心優しい人間を何人か見てきたから。

 

誰が他人の彼氏に手なんか出すものか。

他人の持ち物なんかに興味はない。

私は誰にも見つからない場所でしか恋愛したくないんだよ。

そう心で嘯き恋愛してる姿はなるべく他人に見せない。

それが私であった。

 

うーん、ほんとなんて堅い人間なのだろう。

だって、面倒が嫌いなのだもの。

狂った自分を他人から発見されたくない。

恥ずかしいし。

 

不倫や横恋慕なんて、自分が味わうモノでは無く、聞いて楽しむモノよ。

 

そんな訳もあって若い頃から結婚適齢期期間は、独身女と言うだけで、独身男性と鉢合わせするとまわりからまとめられそうな雰囲気はあって、それを私は死ぬほど嫌悪していた。

私だって選ぶ権利はあるけれど、相手だってある。

私で大丈夫?相手可哀想じゃない?

とか相手の心配もしていた。

私は職場の皆と友達にはなりたいが、皆が知ってるコミュニティ内で彼氏は欲しくないのだよ。

 

(正確に言えば欲しいけど、仕事中の邪魔になる人なら要らない。)

 

余所で見つけるから干渉しないで。

と本気で思っていた。

 

どうしてフリーだと皆恋愛したがってると思うのだろう。

ペアでないと人間として欠陥があると疑われるのか?

独り者は肩身を狭くして生きていかなきゃいかんのか?

とりあえず幅を利かせず、小さくなって生きているけどそれでも言われなきゃダメ?

 

とりあえず、彼氏いないの?の質問には

彼氏はいないけど現在好きな人がいて他の人に興味が無い。

といつも答えていた。

(本当の時もあり、方便の時もある。)

 

遣り手婆に婚姻相手をあてがわれるのは遠慮したいが、人間性に問題があって出会いを拒否してたり、フリーであるとは思われたくない。

 

私にだって失いたくないモノがあるんだ。

それは、決して高くはないわずかばかりの自尊心さ。

 

そして、異性を紹介される内が華。

私が職場の常識的な同僚または上司から、知人の男の人を紹介すら出来ないヤバいオンナと思われてない、

ということは

私はまだ他人から見て人間的に問題がないと思われてるんだな、と安心材料になる。

 

そんな訳で独身男性を紹介されたときは、義務的に1度会うことにしていた。

会わないで連絡だけしていると、妄想が膨らむらしく、相手がしつこくなるので実際会って妄想を壊してあげることにしている。

 

相手も目が覚める。私も面倒が減る。

WIN×WIN。

何て親切な私。

 

そして現在に関して言及すると、

中年の独身だと常識のある大人からは干渉されない。

(ちょっとした腫れ物扱いかも知れないが。)

 

適齢期を過ぎて結婚できてない残念な独身とは思われているかも知れないが、直接言われたわけではないので快適!

何か言われたらこう答えよう、なんてシミュレーションしてるが、今のところ実行する機会は訪れてない。

地雷踏まないように相手が気をつけてくれるから楽!

 

コロナ禍も始まったこともあり、私的な誘いもないのが大きい。

嘘ではないが、断る際に

持病があって感染症にかかりやすいので控えている

と言えば角も立たない。

恋愛対象から外れると、私は伸び伸び寛げる。

 

ちなみに、私が結婚しない(出来ない)理由は

 

出会いを制限しすぎる。

好きな人と両思いになれない。(私を好きにならない人を好きになる。)

好きな人が結婚生活に向いてなさそう。(変人が多い?)

好きな人が求婚してくれない。(自分からプロポーズするほど好きな人と付き合ったことがない。)

 

その辺だろうか。

 

更に言うなら

恋愛と結婚を分けれないタイプなのがいけない。

好いた相手に好かれて求められたら結婚したい。

結婚相手を見つける為だけに好きな人を無理矢理に探す気がまったく湧かない。

 

いつまでも少女なのだな。

 

その点を反面教師にして、

結婚願望がある若人に私が言えることは、

 

結婚は自然には出来ない。

する気があるなら早め早めにターゲットを絞り狙わないと絶対ダメだ。

女は特に、賢く立ち回らないとキャリアもライフステージプランの達成も時間が足りなくなる。

知り合いのうまくいってる夫婦像を見ていると、中学や高校時代から付き合っているカップルが多い。

 

中・高校生時代なんて

「恋愛?なにそれ少女漫画にしか存在しないフィクション?」

と青っぱなを垂らしていた自分に愕然とした。

ジャガイモみたいな自分が、ジャガイモみたいな相手と恋愛するなんて滑稽じゃあない?

恋愛って美男美女がするものでしょう?

多分そんな風に思っていたような気がする。

他人がどう、というのはなかった。

だた、自分の様な美しくもない取り柄もない女の子が出来るモノだと思ってなかっただけで。

 

なんて恋愛面に対し幼かったのだろう、自分は。

 

社会人になってからパートナーを選ぶなら、先手必勝。

元からいい男なんて競争率が激しい。

見込みがある男を育てるのだそうだ。

他人に興味がなく、綺麗な蝶々を追いかけるように自分の好きなことに夢中な自分には、そんなモチベーションは皆無。

私は頼れる人に可愛がられたい甘えん坊気質。

私の周りは面倒見が良い友人ばかり。

面倒見られる方が向いてるダメ人間が、自分の男という理由だけで向かぬこと=育てることをせねばならぬとは。如何に。

何故したいか解らぬ結婚のために、赤の他人など世話せねばならんのじゃ?

 

さて。

恋愛に狂える青い時代ならまだしも、分別がついてからなんて、ますます結婚は難しい。

結婚は多少の理性を失わないと出来ないと思ってる。

未来なんて不確実性を明るく笑い飛ばすポジティブさもないと。

多少の計画性&体力を基にした多少の計画性のなさという相反するものが必要。

上記で解るように、若さと体力は絶対必要。

 

結論。

若人よ、若さと体力と無分別さがあるうちに結婚せよ。

若人よ、反面教師(私)の屍を踏み越えてゆけ!!!

 

結婚できない中年女性の現場からは以上。

言葉にすると身も蓋もない。

 

だが私は、

別に自虐して他人に慰められたいわけではない。

私はこうなのだ、と観察しているだけなのだ。

 

自分に合わない環境などには、

合わせられないなら殺してしまえホトトギスタイプ。

つまり粘りがない。

自分は変わらず環境を変えれば良い。

そういう人間である。

 

恋愛だって、ダメだと思えば直ぐ距離をおく。

距離を置く内に振られる。

自分に合わせてくれる奇特な異性となんて付き合ったことがないわ。

皆みーんな、ついてこれないヤツは置いていくぞタイプ。

自分に自信がある人が好きなのだな。自分の自己肯定感が低い分。

 

もしくは自分に合わせてくれる異性に魅力を感じず振ってきたバカな私。

(こんな私でも好いてくれた人は何人かはいたのだ。何て贅沢なことしたんだろう。)

 

ベルばらの名場面に、あったな。

本当の魅力的な男とは、

強いばかりが男ではない、包容力があるとかなんとか、

そういうこと。

そして、

そう気がつく頃には、女は年老いている、と・・・。

 

むむむ、真理かも。

私のアンドレはいずこ!!!???

(まあ、いると思ってないし探してないけど。)

 

今年で4○(ピー)歳。

他人様の迷惑にならない程度の、自分を養える所得さえ得られれば上等、

それが私の望み。

一生独身で肩身が狭くとも、この世界の片隅でひっそり忘れられて生きていきたい所存。

 

毎年新年の目標など立てはしないが、

今年の目標、というか予定。

これも藪から棒に発表する所存。

 

  • 転職する。(人間関係限界の職場から脱出する。)
  • 貯金を増やす。(老後の蓄え。)
  • 身体の負担にならないWワークを始め、リモートで出来る仕事にシフトしていく。(持病と上手くつきあう。)
  • 理想体重を維持する。(健康と美容を諦めない。)

 

以上である。

 

4について軽くご報告。

 

ダイエットブログを何本か上げさせて頂いたが、おかげさまで順調である。

11月後半くらいから食事制限をして、ほとんど運動もせず1ヶ月~1ヶ月半で-2.5kg程の結果です。

現在3ヶ月目で-3kg。

残り-1kgですが、この生活を続けていけるとこまでいこう、って気持ちです。

 

色々細かい理論や難しい記事を紹介したが、

現在のダイエット生活について簡単にご紹介すると、

ストイックにやり過ぎず、偶に好きなモノを食べながら

 

基本、

スナック菓子や市販の甘いお菓子を食べない・買い置きしない

飲酒しない

揚げ物や脂質の多いモノ・砂糖の多いモノを食べない

位の生活である。

たまーに外でお茶する際に、体重が安定してる時に小さなケーキや甘い物を食べることはある。

食べたら前後の食事を控えめにしてる。

 

目標はあと-1kg程度であるが、

この生活を続ければいけると確信を持ってメンタルにも明るい兆しがある。

やはりダイエットとは正しい食生活と前向きな思考と継続である。

目標体重を達成しても、この食生活は維持しようと思う。

 

市販のお菓子もお酒も買わなければ、節約にもなるしメインの食材に還元出来る。

 

外食はほぼ月2~3度程度だし、満腹食べないことにしているので問題なし。

好きに外食をすると体重を戻すのに2日はかかるので、その労力を考えると外食や出来合を食べる気が失せるので自炊が嫌にならない程度に頑張ってる。

 

そして気がついた。

自炊が苦手なダイエッターにも朗報です。

納豆ご飯や卵かけご飯が最強な事に。

幸運にも私は納豆や豆腐が好きである。

調理法もシンプルであればシンプルであるほど痩せる。

 

手の込んだ料理って、高脂質なことが多い。

洋食をその日の食事の1食に置くと、1日に摂る脂質がオーバーする。

 

糖質制限=ケトジェニックをやっている方は脂質制限はないかもしれませんが、

私は糖質を適度に食べる脂質制限っぽいものをやってます)

 

それに気がついて以来、洋食を作るのはなるべくは避けていたりする。

私の場合、カレーやハンバーグを食べるとてきめんに増量する。

ダイエットアプリで食事記録をつけてますが、一食で一日の脂質をオーバーしちゃう。

少量ならもちろん問題ないんだけれど、カレーやハンバーグって食欲増すんだよねえ。

しろメシおかわりしちゃいたい。ってなる。

しかも、ハンバーグのソースって脂質糖質爆弾。

私はケチャップとブルドックソース(中濃ではない)ミックスのハンバーグソースが好き。

チーズなんて入れちゃったら脂質爆弾。

でも私がつくるハンバーグは豚100%に飴色玉ネギ、チーズイン、ケチャップブルドックソースミックス。

これ基本。

外食なら和風ソースなんかもありだけど、おうちのハンバーグソースは上記がいちばん。

 

少量でやめれないモノは最初から作らない方が無難。

そんな訳で、カレーやハンバーグは月1度程度にしてます。

そもそもハンバーグって自分が食事係になる前は食べもしなかった。

挽肉レパートリーの関係上作ってる感じですね。

逆に、少量でやめれるなら多少ダイエットに不向きなモノでもちょっとくらい食べても問題なしです。

ちょっとの量でやめる。

これ大事。

 

納豆、豆腐、海藻類、卵、オートミールが栄養素アップ・かさ増しにもの凄く役に立つ。

幸運にも私は大豆製品が好きである。

カロリー低い太りにくいってだけで、大好物。

(単純。)

 

あんなに米への愛を叫び続けて持て余していたオートミールも、自炊やおやつ作りの強い味方であることに気がついてからは、

オートミール、最高じゃん!

と大変その存在を見直している。

 

基本は

全粒粉の小麦粉や全粒粉のスパゲティや蕎麦や雑穀米がメインの炭水化物。

 

旬のブロッコリーも、2,3房食べればその日の不足した栄養素が補える。

筋トレの人が、あんなにブロッコリーを重宝している理由がわかった。

きのこも大活躍。

 

それにわかめ等海藻をノンオイルドレッシングで食べたり、一品足したい時はもずく酢、

納豆・豆腐をのまま食べる。

 

食塩無添加トマトジュースにえごま油を入れて飲む。

 

口寂しくなったらリンゴ酢×炭酸水か紅茶、コーヒー、をシュガーレス

 

砂糖は三温糖を使用してましたが、最近手作りおやつ用にラカントSと言うカロリー&糖質ゼロの甘味も買ってみた。

ラカントは羅漢果という稀少植物から採れる甘味成分とエリスリトールというデンプンを原料とした発酵甘味料です。

天然素材なので安心。天然素材ではないノーカロリー人工甘味料は成分が怖いので避けました。)

 

中国産は避けようと色々表示は確認しますが、中国産の台頭は半端ないね。どこにもはびこっている。

ラカントSに使用してる人工甘味料のエリスリトールでさえ中国生産だったり。

 

ちなみにラカントSほんのり茶色。

(なんとなく、白色より身体によさそう?と思い。)

白いタイプも、シロップタイプもあります。

用途によって使い分けると便利かと。

ラカントS #カロリー糖類ゼロ甘味料 #ダイエット

口寂しいときのダイエット中のおやつのあたりめだって、中国製造。

 

(あたりめ、すごくヘルシーです。

顎がめっちゃ疲れるけど。

それもダイエットにいいんだろうけど。

とろりずむっていう昆布のおやつも、低カロリーでダイエットの強い味方。

あたりめととろりずむ、私の購入する二大おやつ。

とろりずむ、私が高校生時代にはもうあった。ロングセラー。興味があったら探してみてね)

 

国産のハチミツも、近所のスーパーなんかじゃ中々置いてない。置いていても中国産の3倍くらいの値段。でもなるべく頑張って国産を買ってます。

みりんもみりん風味じゃなくて本みりんを買うようになりました。

うーん、スナック菓子を買わない分と思って、ここは高いけど投資としては正しいと思おう。

 

この辺を守りたまーにクリスマスにケーキ食べたり(夜では無く午前中に食べたりして工夫しましたが)、お正月にお寿司やごちそうも食べたけど

見事に順調に痩せていってます!!!

 

てか、市販のケーキなんて食べても、月1、2回とか1回/1ピース位だと太りもしない。

 

逆にお正月のごちそうが栄養バランスは良くても、量が多かったので一回で1.5kg増量した(3~4日かけて元の体重に戻しました。)

 

ここで言ったことから解るように、

質が良くても量が多けりゃ太る!

(当たり前)

ケーキだろうが、ポテトチップスだろうが、少量なら太らない!

(もちろん連日はダメよ。)

 

当たり前―♪

 

と例のメロディーが私の頭を巡る。

いや、何だのかんだの言っても、本質なんて結局シンプル。

 

ダイエットって結局

腹8分目。

なのだな。

 

満腹食べるなら朝か昼。

だが私は朝は壊滅的に食欲がない。

食べたくないときは無理して食べない。

そして1日3食食べるとカロリーオーバーするので、

1日2食+空腹時間食(お腹がすかなきゃ間食はしない。)

という食生活スタイル。

が1番しっくり×結果がついてくる。

 

逆に力を入れて何だのかんだの手の込んだ料理をしていた頃の方が、カロリーオーバー。

 

残念ながら、納豆、冷や奴に勝るダイエットに適した健康食材がみつからない・・・。

魚も焼くだけ、しかも脂質の多い魚を焼くより刺身が結局低脂質。

 

一体なんだったんだ・・・?

手の込んだ料理って。自己満かもしれない。

もちろん、自己満上等!!!なんだけど。

 

私は自分の作った料理ではなく、料理上手のおもてなし上手のお友達のつくった料理が食べたい。

自分は下手の横好きで料理はするし、家族の食事も夜ご飯担当だが、ウチは家族全員偏食気味なので凝って作った料理はウケない。

 

そして、味付けが苦手だ。

大体味が薄いと言われる。

切ったり炒めたり、とか工程は好きなんだが、出来上がった料理はイマイチだったりする。

 

つまり、料理のセンスがないのだ。

 

元々、20歳代の時はお菓子ばかり作っていて、正確なレシピ通り作る方が向いている。

細かく測ったり、粉をふるったり、全然苦じゃない。

正確にすればするほどお菓子は応えてくれる。

用法用量守れば絶対美味しくなる安心感。

お菓子作りと食事の料理って、全然違うよね。

 

結局素材そのままで食べるのがダイエットに1番適しているっていう結論・・・。

楽過ぎる。

段々手の込んだ料理を作るのが馬鹿馬鹿しくなってくる。(→いまここ。)

#一汁一菜でよいという提案 #土井善晴

ずっと気になってて最近やっと手に入れて読んだ本。

古来からある日本の晴れの日と褻(け)の日、という概念。

褻の日=何でもない日・普通のレベルが高いのよね、最近。

そんな映えや見栄に疲れちゃった人は是非。おすすめの本です。

料理にとどまらない、日本人に脈々と受け継がれたモノ、

精神衛生にとってよい「普通の在り方」と言うモノに救われる、

そんな内容になっていると思います。

 

そんな褻の日を過ごす普通の日々ですが。

その代わり、力が入るのが最近はまってる間食用のヘルシーお菓子作り。

オートミール、全粒粉小麦粉、高カカオチョコレート、食塩油無添加ナッツ、無糖ヨーグルト、ラカント、はちみつ、オリーブオイル・・・。

たまにバナナやさつまいも。

 

一度、さつまいもの裏ごしに辟易しすぎた事があって、最近ずっと欲しかったブレンダーを購入しました。

 

クラッシュタイプのオートミールを、粉砕して小麦粉のように使用したくて、電動コーヒーミルも買っちゃった。

 

ますますおやつ作りに力が入っちゃう!!!

 

ヘルシーなモノを組み合わせて何作ろう、って考えるのが非常に楽しい!!!

 

最近は粉砕したオートミールブリトーお好み焼きを作りました。

お好み焼きはほとんど山芋とたまごとキャベツの生地。粉は少なめ。

ソース以外はヘルシー!!!

食べるダイエット、楽勝じゃない!?(←いまここ。)

 

しつこいが、オートミールお腹が凄く膨れる・・・。

空腹感とは無縁で、ええど!!!

なんであんなにダイエッターがオートミールオートミール言ってるのか、やっと腑に落ちました。

論より証拠。

体感してやっと納得した頭でっかちな私であった。

 

ちなみに、前回も記述しましたが、オートミールは水分を凄く吸って消化も良くないので、

水分を沢山使用すること、

夜は(他の炭水化物ほどではないにしても)太りやすいかも、

という理論もあるようなのでその辺ご注意を。

 

水分不足するとかえってお通じに支障が出るかもなので、

オートミールと水分はセット!!!ここ大事よ!!!

 

話を戻すとしかも間食に手作りおやつを食べると満足感&夕飯の食べ過ぎ予防になる。

私の場合ですが、減量が順調なのは、間食が大いに関係しているみたい。

 

おやつ食べても痩せれるって、最高かよ。

(私はもともと食事よりお菓子が好きな人間だったりするから余計かも。)

 

前半暗めな中年女性のリアルになりましたが、

小さな幸せをたくさん感じて自分を大事に幸せにして、今年もゆる楽しく生きていきます!!!

 

人生やっぱ捨てたもんじゃ無いぞ。

いくらでもこれから楽しめる。

美容より健康。

もしくは健康なら美容は自ずと後からついてくる。

(歳を重ねれば重ねるほど。不健康は美しくない。)

 

一言で言えば、

 

元気があれば何でも出来る!!!

(耳タコな名言ですが、やっぱり凄くしっくりくる名言です。本当に名言なのだな。しみじみ。)

 

なので、健康に引き続き留意し、自分の機嫌を良くして楽しく過ごすことが、

私の何よりの望みなのであります。

 

おまけ。

#シロー君 #ねこ

暖かいお部屋でのびのびお昼寝のシロー君。

伸びた脚がとてもチャーミィ。

かわいい猫ベットを買っても、結局段ボールが好きだったりする。

 

ねこはいいぞ。

この上なく精神を安定させてくれる。

何もない私に素敵な安らぎを与えてくれる。

全てのねこよ、幸せであれ。

 

おしまい。

愛しのディアボラ~悪魔のソースと素敵なファミレスに賞賛を捧げる&代理戦争と現代社会への警鐘~

突然だが、今回は今1番好きな食べ物について語りたい。

その序章として、サイゼリヤというファミリーレストランやメニューと私の関係・考察について少し語ろうと思う。

 

私は、宮城県の仙台駅から電車で30分程のそこそこの田舎に住んでいる。

 

最寄りのサイゼリヤは、車で30分圏内に3件ほどあるが、最近は出来ればお酒も飲みたいので交通機関で行ける仙台駅から徒歩圏内のサイゼリヤに出没する。

 

出来れば電車も乗りたくないし、人混みも繁華街も好きではないので仙台駅中心部のような都会には積極的には行きたいとは思わない。

 

そんな私の尻を軽くするだけの威力があるのだ。

サイゼリヤのメニューとワインには。

 

よくSNSで度々サイゼ論争が巻き起こるのを見かけるが、

あれは、わかっててワザと煽ってるのか?

安くて美味い店は正義だ。

それ以外に語るべき事ってあるのだろうか?

 

いつもスルーしていることをあえて今回は言うことにしよう。

 

デートで行くのは信じられないとか、私大事にされてないと感じるとか、サイゼで満足するようでは安い人間に見られるとか。

そんな解りやすい単純な主張の人間って本当に存在するの?

フィクションとか、釣りのキャラクター設定だと思うんだが。

 

簡単に言うと

サイゼの食事で喜べる倹しく純粋な、

そして経済的魅力が乏しい男にとっても都合の良い彼女

(もしくは食事を値段では無くそれ自体で楽しめる堅実人間)、

VS

デートは豪奢じゃ無きゃ。女舐めてんの?デートでサイゼ連れてくなんて、私は安い女じゃないのよ

と吝嗇な男に都合の悪い彼女

(もしくは時代錯誤バブリー・ブランド主義人間)

的な構図とそれらにまつわる代理戦争。

 

これらの論争に参加する阿呆に見る阿呆。

 

同じ阿呆なら

私なら

論争に参加せず

ディアボラ風ハンバーグorチキンを喰らって、

デカンタワイン(赤)

を黙って・美味しく頂くだけのことである。

(今回は参加した形になっちゃった?)

 

つい最近は、ロイヤルホストのパンケーキ大好き庶民

VS

某番組で高尚なシェフが庶民の大好物に空気読めない上からコメで炎上

ってのもあったなー。

 

ミシュランの星の数がなんぼのもんじゃい。

悲しいかな、人から(特に海外からの)評価されることが大好きな日本人。

 

番組の方針?ワザとの炎上ねらい商法?

嘘・大袈裟・紛らわしいのは良くないかもだけど、

 

潔癖すぎる庶民VS古いテレビ体質

の構図をワザとつくってるのかな?

って、そんなにテレビで不快になるなら観なきゃいいのにねー、

で終わる最近の私。

 

テレビ離れが進んで大体のニュースはSNSやネットでしか観ないなあ。

 

そんな私なりの情報リテラシーについて。

テレビもネットも真に受けず、自分の物差しで正義や悪を決めずデマには毅然とクレーム入れれば良いだけの話ですよ。

疑わない。かといって信じない。確かめること。これは気をつけている。

 

代理戦争って、くだらないレベルであればあるほど面白いけど、

大事なことであれば代理戦争で争うべきじゃ無い。

(きのこたけのこ論争もしかり。

どっちも好きだけど、わたしはどちらかというときのこ派

私は自分がきのこ派だからと言って、たけのこをけなしたりはしない。

両方黙って美味しく食すだけである。)

 

知識も信念も他者への自分との違いへ対する労りも無い一般人が、

相手に対し断罪する権利があると勘違いするのは、テロと同じ形式になってしまう。

 

個人が個人を断罪出来るかって、直接の被害者でもしちゃいけないのが法治国家である日本なのだから。

煽るだけ煽って責任負わないのは1番の罪。

てか、あんた部外者じゃん。なに首突っ込んでんの?

と鼻白む。

 

昔のドラマだったら、野次馬がいないと話がややこしくならないし進まない。

だが、私が1番嫌悪する人種は、

寅さん

である。ああいう昭和人情もの、実は苦手だ。

ダメな人間を愛せない。ううう。狭量だ。

 

代理戦争だと自覚なくそういったことが大きくなりそうなので、発言の前に腹で寝かせると言うことについて、個人はもっと自覚した方が良いのでは?

と思う。

 

最近の物騒な犯罪に対し、素人のお気持ち並のいち意見で擁護する民主主義に危機を感じる私。

やられるだけの原因がある被害者はやられて当然って、いつの時代の逆行?

いじめられる方に原因があるっていじめっこの未来を擁護する教育現場を世の中全体でやったらどうなんの?

いじめっこが増長するだけだぞ。

いじめっこ勝ちの世の中って、地獄絵図じゃないの?

 

世の中全体が軽薄なワイドショーみたいな断罪が流行っている気がして怖い。

そんな軽く被害者のやられる原因を正当化して良いの?

むしろ被害者を断罪してるけど良いの?

やられる人が悪いの?

加害者を法的に裁かず擁護していいの?

増長させてるけど次の被害者を生んでもまたかばうの?

責任は誰が取るの?

やったもん勝ちの世の中になってない?

制御できない所までいったら、やばくない?

 

政治と司法の役割って機能しなくなったらどういう世の中になるんだろう。

世の中よく解らない力が蔓延してきた気がする。

 

日本でのびのびその辺をほっつき歩ける治安の良さが、どれだけ貴重なモノか、

最近それが無くなってしまったらどうしよう、

と凄く暗澹たる気持ちになる時が多い。

 

自衛しなきゃ。と身体が堅くなるようなストレスを感じてる。

昔の日本は治安がよくて良かった、比べて今の日本は・・・って懐古する未来が来たらどうしよう。

 

けして大袈裟で無いと思うんだよね。言論の代理戦争ってさ。

憎しみがどうやって生まれるか、なんとなく構図が解ってくる気がする。

言論の抗争や無責任な裁きが無秩序を生む。

戦争より怖いのは、秩序が保たれない民主主義。

 

と、サイゼ、ロイホの論争からここまで考えが及んでしまった私ですが

大分重い話。

でも大事なことなので、

身近な嫌いな相手を自分を正当化して裁いてないか、攻撃してないか?

でも敵には丸腰で搾取されるのをよしとして誇りを手放してないか?

そこから気をつけてみて?

(誰に向けた言葉?)

いうなれば私自身への戒めでもあるのですが。

 

軽い話に戻そう。

サイゼのついでに語りたい、

ロイヤルホストのパンケーキのことですが。

 

私はロイヤルホストのパンケーキ、3段重ねのシンプルなの大好きです。

 

以前おしゃれなパンケーキを食べようと出かけた際、一緒にいた知人に

 

生クリームやフルーツ盛りすぎな甘すぎるハワイ系は苦手。

生地は好きなんだけどなあ。トッピングが甘すぎたりフルーツ無駄に載りすぎてたり、好きなのがない。

むしろ、ホットケーキが好きなのかも。

バターとメープルシロップか、はちみつだけ添えてあるやつ。

 

と言ったら、

 

それってロイホじゃん!

 

と的確な返答をもらい、

その数日後たまらずロイホにパンケーキを食べに行った。

(その日はハワイ系のパンケーキの店に野菜サラダがトッピングされたものを食べて妥協しました。すごくしょっぱくて、アレはアレでアリだな。と思った。

生クリーム&フルーツトッピングは選択肢に初めからない。

それなのに、何しにハワイ系のパンケーキの店に行ったのだ?

根本から間違っている。)

 

ロイホに行って。

そうそう!これこれこれ!

しかも3段。

このくらいの厚さで3段、てのがいい!

しかもバターとシロップのみ!!

こういうやつよ!!!

今まで何でロイホのパンケーキって選択に、気がつかなかったんだろう?

 

と大変満足しました。

 

また久しぶりにロイホ行きたいなあ。

 

ちなみにロイホメニューで1番好きなのは

クラブハウスサンドです。いつもそればっか食べてた。

何年も行ってないけど、まだあるのかなあ?

 

・・・と言うことで調べたら現在もありました。

 

ハムとチキンのクラブハウスサンド

付け合わせのフライドポテトもいいマッチング。たまらない。

マスタードの具合とトーストしたパン生地が好み。

 

久しぶりに調べたけど、記憶にある昔の価格から全然上がってないし良心的!

(2022年12月現在税抜き880円みたいです)

 

あー、絶対近いうちに食べに行く!!!

若い頃はちょっとお高めのファミレス、と認識してましたが、

どうしてどうして、なんてコスパがいいの!

あー、近いうち絶対絶対行く!

 

ここまで来てやっと今回の本題。

 

サイゼの話に戻ります。

お手頃価格で美味しくって最高じゃ無いか。

センベロ(1000円でベロベロになる)の、クセになる。

私はサイゼで1人でセンベロするのが最近ブーム。

 

安価で美味しい料理に文句を言うような似非グルメ野郎女郎は、けしてグルメでも上級市民でもない。

高級でも美味しくないお店はある。

その逆もしかり。

 

まあ、そういう人たちは良い人間でありたい、上品な人間でいたい、

というようなことを考える訳では無く、

ただの文句言いたがりだったり、

自分には文句を言うだけの権利がある大層特別な人間だ、などと誤解をしているだけの人種なのだと思う。

 

いや。あんたも、あたしも、そんな大層な人間じゃないと思うよ。

と私はツッコみを入れる。

 

私は皮肉屋である。

 

だが面倒なので実際には口に出して言うことはない。

だって反論に相手をするのは面倒だし、他人の意見は求めていないから。

だが言いっぱなしで逃げる事は許されないのが発言という行為である。

 

言葉は一度口から出れば、責任を果たさなくてはならない。

労力を払わなくてはならない。

代償を払うべく責任のある、重い行為なのだ。

 

人間は発言や振る舞いで判断されるべきであり、内心なんと考えていようが自由なのだ。

私は私の自由を遺憾なく発揮する。

なるべく重い責任を代償として払わなくていい方法で。

危険を事前になるたけ回避して。

このブログと言う自分自身のフィールドで。

書くという行為は、発言にフィルターが多すぎて無口になる私にとって素晴らしい手段である。

AT  LAST,I GOT FREE!

 

さて。

こういう論争をみると感じることがある。

無理に括るなら、世の中のサービスについてというジャンルになるだろうか。

 

フルサービスでも恭しくもそんなにガンガン攻めてこないで、

と思うシーンがあったり、

逆に最小化の素っ気ないサービスが心地よい時がある。

 

だが、居心地を良くするのは提供側のマニュアルやサービス従事者のスキルだけの問題だけではない。

 

受け手側が洗練されていれば良いだけの事なのだ。

 

サービスの受け手だからという理由だけで重箱の隅をつつき、ガミガミクレームを言う人種というのが私はとても嫌いだ。

そんな野暮な人間はかっこ悪い。

 

私がサービスの提供者側だったら表だった差別はしないが、粋な客にこそ張り切ってサービスしちゃうな。

だって人間だもの。好ましい相手によくしたいのは当たり前。

そういう粋なお客様って天然なのか、解ってて上品に振る舞うのか。

とにかく、私が客ならそういう人間でありたい。

 

高価で稀少で極上で最上級で至れり尽くせりばかりが、

客として人間として大切にされている場面などではない。

 

誕生日だからと言って、お高い店に連れ回されて喜ぶ人間は、逆に単純で浅い人間だと思うよ。

 

てか、相手が時間や労力をかけて準備してくれた場所に、評価を下すとは、なんとも驕った行為。

それが悪いとは言わないが、どんな場面でも自分を快適に置く、という技は人間性が優れてる者の方が持ち合わせている技なのだ。

喜び上手こそサービスの上級享受者。

 

つまり、自分の受け取り方次第とも言う。

貴方、そんなに高級な店ばかりが自分に相応しいと思うたいした中身の人間なのか?

それらにしか喜びを感じない貧しい感受性なのか?

して貰うことだけが喜びなのか?

 

そう自分自身に問いかけるが良い。

 

そして何より看板や価格に踊らされるヤツは搾取する側のは恰好のカモなだけですよ。

大枚はたいてハイブランドのスーパーコピーでもつかまされるがいい。

(暴言)

もちろん、この店は五つ星ですよ~とかアピールされれば

きゃあああ~、すごおおおい、

とかヨイショはしますよ。

だって盛り上げて自分も楽しくなりたいし心地よくなりたいから。

 

だがそれと同じ位、安価で美味しいお店に快適を見いだすのは、むしろ優れた人間なのだ。

 

私は、有難い食べ物にいちいち文句をつけるヤツをなにかしらの風上にも置けないと思う。

他人様の作ったご飯に感謝できないヤツは、一生外食するな。

自分の作ったメシだけ食っとけばええんじゃ。

なに?自分では料理が出来ぬとな?

だったら尚更文句は言うな。

 

と横目で見て「違いのわかるオンナ」としてこういった論争を斜に眺める派である。

 

まあ、私は生粋の食いしん坊なので、食べ物に関する感想は美味しいか、自分の口に合わないか、だけのことなのだが。

やっぱり有難い食べ物にそれ以上言及するのは野暮の極みだもの。

 

ちなみに、料理することは大好きだが、私は味付けが苦手である。

大鍋で肉じゃがや豚汁を作ると大抵味がちょっと薄くなりがち。

家族からクレームが来る。

(特に両親は、昔人で東北特有のしょっぱ好きのカンタロウである。70歳を過ぎてなお、減塩という言葉は知らないらしい。

私は健康の為に塩分気にして素材の味を活かしたい派である。

うーむ、相容れぬ。)

そんな味付け下手な私からすると、作る側に苦労を思えば、有難い食べ物に文句を言う気など、1mmも湧かない。

 

オープニングが長くなったが、

今1番私がハマってる食べ物は

 

サイゼリヤ

ディアボラ風ハンバーグ

orディアボラ風チキン

というメニューである。

 

ディアボラ風とは皮をカリッと焼いたチキンが悪魔の羽のようだから、という語源のイタリア語である。

ソースはガルム(魚醤)を使ったソース。

 

私は野菜を使ったディアボラ風ソースと

ガルムソースが添えてある上記のメニューが最近のイチオシだ。

 

注文すると、

「少々お時間がかかりますが」

と言われるが、

かまわん、かまわん、だってこのメニューが食べたくて来店したんだもんねー、喜んで!

という心持ちである。

 

私は頭が最近うまく働かず言語中枢がプッツンしてるので、

先日ディアボラ風【ハンバーグ】を注文しようとしたのだが、オーダーシートの記入を誤り、ディアボラ風【チキン】の方を注文してしまった。

オーダーを復唱された際に気がつきはしたのだが、訂正するのも面倒なのでチキンのままにした。

 

こういうとこ、私は割と諦めが早い。

 

だが、チキンでも文句なしに美味しかった。

もう、ハンバーグだろうとチキンソテーだろうと関係ない。

ディアボラ風野菜ソースと、ガルムソースが最高なんだもんね-。

 

その日はディアボラ風チキンと

にんじんサラダと

グラスワイン赤1杯と

ドリンクバー。

これで千円ポッキリ。

大層満足した。

 

本当はワインおかわりしたかったが、最初にデカンタでなくグラスにしたのに、追加するのは何だか負けな気がするので我慢した。

(何の勝負?)

 

私、最近姉と2人でか、1人でしか外食してないけれど、ここ最近でいっちばーん楽しい外食でした。

多分、同伴者がいたらワイン追加していたな。

 

私がサイゼリヤで【お酒を飲む】のを覚えたのは、ここ10年程である。

 

サイゼ飲みを覚える前までは、お気に入りのメニューはペンネ・アラビアータとグリーンサラダか小エビのサラダ。

サイゼのサウザンアイランド・ドレッシングがとても好き。

そしてアラビアータの残った後味の口にコーヒーを流し込むのが定番。

 

私は、トマトとニンニク系のパスタ料理の後味でコーヒーを飲むのがとても好きだ。

解るかなあ。あの後味の残った口の中で完成されるコーヒーの美味さ。

 

相変わらずペンネ・アラビアータは今でも好きだが、サイゼのワインを覚えてしまった今ではなるべく重たいモノはカット。

腹十分目とアルコールの組み合わせは御法度である。

次の予定が狂うから。

(満足して次の予定をキャンセルしたくなるからです。)

 

そう。気をつけなければ。だって、交通機関と徒歩で帰らなきゃならないし、約束の時間を守らなくてはならない。

そういう制約を混みで楽しむものなのだ、サイゼ飲みは。

 

そうそう、サイゼ飲みを覚えたきっかけは、

10年程前にサイゼリヤ某店で、マグナムボトルを頼んで楽しそうに食事する外国人グループを目撃したからである。

 

その発想はなかった・・・!!!

 

私は、その光景を見て衝撃を受けた。

 

何故気がつかなかったんだろう。

それまで純粋に料理とドリンクバーが好きで、車で郊外店で友達とおしゃべりを楽しむ場所だったから。

 

よくよくみると、グラスワイン100円!?

デカンタで200円!?

ボトルが通常サイズ(720ml)も超えて、マグナムとな。

こいつぁ、クレイジーだぜ!!!

私の中の欧米人がそう感嘆する。

 

そこからサイゼリヤでは交通機関の際にはワインを飲む。

というのが定番となった。

否。

正しくはサイゼリヤでワインを飲むために交通機関を使って外出し、ついでに用足しをする。ってことだな。

 

さて、十年は過ぎ。

大好きだったメニューが無くなってしまったり、チョイスするメニューにも変化は起きたが、満足度の高さは変わらず。

 

変化と言えば

ドリンクバーのコップはプラスチック製になり、ホット用のカップですらもプラとなり。

以前の、ホット用の陶器のカップ好きだったなあ。

可愛くて気取りすぎて無くてホッとするカップだったけど。

 

仕方ないよね。料理のお値段と質がいいから文句はない。

料理の質に還元してコスパよくするっていう、企業努力なんだろうなあ。きっと。

 

今のサービスでも満足しているけれど、世知辛いなあ。

こういうことに時の経過を感じる―。としみじみ。

 

ちなみに、某・他のファミレスチェーンの仙台中心部店舗で飲んだときは鉄板で出てくるお料理がぬるく、取り皿がペラペラの離乳食のプラ皿みたいでがっかりしたことがある。

 

料理が総じてぬるい!!!

(質では無く、温度についてである。)

 

取り皿はプラでも紙でも我慢はできるが、提供された時点でぬるいハンバーグや肉をグリルした料理は致命的。

鉄板を使用していたにもかかわらず、である。

 

そのお店のお値段はサイゼリヤさんとそうそう変わらず、むしろちょっと上くらいの価格設定。

味は悪くなかったけど、料理の温度に合わない提供時の皿の温度がダメとは、

致命的である。

メニューのラインナップが魅力的だっただけに、余計にガッカリした出来事であった。

 

そのチェーン店の他店舗では、アツアツで美味しかった記憶があるので、場所によるのだな。

繁華街にあるあの某・ファミレスには、それ以来行ってないし、これから先も行かないだろう。

 

それ以来ファミレス飲みはダントツでサイゼリヤさんがトップである。

温かいモノはあたたかく。冷たいモノはつめたく。

どの店舗でも。

味と温度で差違を感じたことはない。

 

外食において、温かいモノはあたたかく、冷たいモノはつめたくということは

当たり前と思っていたが、どうやらそうでない飲食店もあるらしい。

いい気づきの機会でした。

 

当たり前をありがとうございます。

 

そして。

定期的に食べたい。

 

あの悪魔のソースが。

禁断症状だ。

 

どんなに好きでも出かけるのは面倒だ。

 

そこで思った。

 

家で作れないかな?と。

 

そして見つけた。

 

レシピを。

 

・・・やってみよう!!!

 

とりあえず、沢山サイゼリヤのディアボラ風ソースを再現したレシピは多数存在した。

その中で、1番簡単そうなのがこちらでした。

 

完全再現!サイゼリヤのディアボラ風チキンとガルムソースのマル秘レシピ↓

https://tanakanote.com/diaborachicken

 

ソースの再現性はもちろんやってみなければ解らないけれど、

ソースをメインで食べたいので、ハンバーグより手間がかからなそうなチキンでトライしてみようかな。

 

そうなると。

チキンをカリカリに焼くのが難しい。

 

ソースをメインに食べたいのだけれど、やっぱりチキンソテーに添えた方がお酒が美味しいだろうな。

まさかソースだけ作って、ソースだけ舐めながら飲んだら何かが終わってしまう。

塩をつまみに雑酒を飲むくらい、危険だ。

 

押さえる道具がなくても皿を載せて瓶とか重しを載せて、って工夫で抑えることは出来るかもだが、鶏の脂が跳ねて危険極まりない。

 

買っちゃおうかな・・・。

あれ。

ミートプレス。ってやつを。

 

ミートプレス Amazon↓

https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9&rh=n%3A3828871%2Cp_72%3A82420051&dc&ds=v1%3ATam6qnJEIPDOZ9Ok6%2FZ8WLZfDLbSFry3rPn42iyEll0&adgrpid=115393477803&hvadid=620353243326&hvdev=c&hvqmt=e&hvtargid=kwd-333741513509&hydadcr=27002_14603878&jp-ad-ap=0&qid=1669797444&rnid=82415051&tag=yahhyd-22&ref=sr_nr_p_72_4

 

買ってしまったら、何かが終わって、何かが始まりそうな予感がする。

なんだか、食に貪欲すぎる自分が恐ろしい。

・・・しばしミートプレスは購入を保留しよう。

 

 

 

サイゼリヤのメニューが気になる方は公式のこちらから

 

サイゼリヤトップページ|サイゼリヤ

https://www.saizeriya.co.jp/

 

お店のハンバーグもチキンもどっちでも好きだけど、目玉焼きが載ってるハンバーグはディアボラ風&ガルムソースがマイルドになるし、チキンは歯ごたえとソースの甘塩っぱさがより引き立つし。

甲乙つけがたし。

 

僅差で、ディアボラ風ハンバーグがより好きかなー、

ハンバーグって普段そんなに好まないのだが、

アレに関してはハンバーグに軍配が上がる。

 

しかも、付け合わせのカットポテト(カリッとポテトという品名で単品でもお店で食べれます。)もすごく合うんだよー。

 

いつもソースが足りなくなる。

すみません、別皿で販売してくれませんか。

おかわりしたいです。

そんで、カリッとポテトにもつけて食べたい。

 

つけあわせコーンは無くても良いけど、

家で再現するならカリッとポテトも添えたい。

カリッとポテトも再現しなきゃ・・・!?

 

そうなってくると・・・。

段々話が大きくなってきた。

話がまた変わってくるぞ・・・!?

 

出かける面倒か。

作る手間か。

 

悩ましいが、素人がそんなに的確に再現できるほどプロの味は甘くないよな。

 

取りあえず、トライはしてみよう!!!

考えるだけで楽しいが、段々面倒なことになってきたぞ・・・。

結果はまた・・・。

 

それまではせいぜい、悪魔のソースを恋しがって日々楽しく過ごそうでは無いか。

#ディアボラ風ハンバーグ #サイゼリヤ

#ディアボラ風チキン #サイゼリヤ

上の写真はオーダーミスでチキンを頼んだら、ハンバーグが恋しくなり、別日にリベンジにハンバーグを食べに行った時の写真。

にんじんサラダもハマっているので、

上の写真ではにんじんサラダもついているガーデンサラダ

下の写真ではにんじんサラダをオーダーしています。

言わずもがな、上記ではグラスワインではなくデカンタワインにしました。

 

欲望の限りを尽くした昼餉。

当分この組み合わせは飽きなそうです。

 

 

おしまい。