コンプレックスで美しくなる?~自称・自分史上1番の美人時代を過ごす私~

私は美人に憧れている。

憧れている、ということは、前提に自分は美人ではないという現実がある。

 

そう思っている私は自己肯定感が低いのかも知れない。

(かも知れない、に留める。)

低いと自覚してるなりに、気をつけている事があり。

 

余りにも自分を卑下したりするのは格好悪いし、

慰め待ち?と会話相手に捉えられてそう指摘されっちゃったりしたら、羞恥心で死ねるくらい自己嫌悪に陥るので、

褒められたら返事は否定から入らない様に気をつけてはいる。

 

だって、よそ様だって会話のとっかかりでお世辞を言ってくださってるだけかも知れないし。

 

何てったって謙遜し過ぎるとスマートじゃない。

 

そんなわけで、プライドというか自尊心も高かったりする。

単にええかっこしいとも言える。

自己肯定感低めの、矜持が高めの人間。

 

そんな訳で、私の脳内は常に忙しい。

 

世間に対して自分をキラキラに魅せたい訳じゃ無いけど、不幸そうに見えたら嫌だ。

いつも機嫌良く居たいけど、いつもヘラヘラしてると、この人適当に扱っても大丈夫な人なんだろうな、なんて軽んじれそう。

 

世間じゃゴネる面倒くさいくらいの人間の方が丁重に扱われたりするんだよな。

解せぬ。

 

でもそんなゴネ得思考のヤバい人なんかと同レベルになりたく無い。

人畜無害でいたいが、舐められるのは嫌だ。

繊細ぶりたい訳じゃ無いけど、デリカシーのない強引な人とは距離を置きたい。

 

そうなのだ。

在りたい自分と他人からどう思われたいかはいつもせめぎ合い。

 

そして自己を律するのは、

こう在りたいという理想ではなく、

こんな人間になりたく無い、

という反面教師な他人だったり、露呈するダメな自分の一部だったりする。

 

そうは言っても、自分はこう扱われたいってばかり願うのも

何だか大人気ないし小さい人間だよなあ。

 

自分が自分が、って自己中心的過ぎやしないか?

器の広い人間になりたい。

でも、自分の欠点をいじられるのは笑って流せないし傷つくから避けたいし。

 

大切に扱われたいけど別にVIP待遇を受けたい訳じゃ無いんだよ。

私はただ、尊重されたい。

容姿が美人なら尊重される機会が増えそうだから憧れるっていうのも、もしかしてあるのかも知れない。

 

そして、尊重とは具体的にはどういった扱いか。

 

改めて考えてみたが、シンプルにまとめるのが難しい。

だが、自分から始めた話なのだから、そのくらいは話としてまとめたい。

レッツ・トライ・アバウト・尊重ライティング。

 

私にとって尊重されるとは。

 

最小限の言葉数で示すと。

「この人ちょっと変わってるけど悪い人ではないんだな。

こちら側に被害があるわけではないし、自由にさせてあげよう。」

って一定の距離を保って放っておいて貰いたい、

という事なのだな。

 

なんだ、チヤホヤされたい訳じゃないじゃん。

美人過ぎたら放って置いて貰えないじゃん。

尊重を語る上で美人であることを同じ土俵に上げない方が良いのかも知れない。

そう気が付いて軌道修正。

 

私の人間関係のスタンスとしては、

貴方様の機嫌がよろしいときに、

そして私もご機嫌なときに、

一緒に楽しく過ごせるのが理想です。

 

年に一回位、事前に約束取り付けて下されば機嫌を良くして準備をしていくので、偶に遊んで下さいね。

 

これが私の築ける人間関係の距離感の限界である。

一人で居たいときに一人になれる環境が何より大切。

 

孤独癖がある。

でも、丸っきり仲間はずれにされるのは嫌だ。

それを我が儘と呼びたいなら呼ぶが良い。

異論は認める。

 

それから私の自己採点方式というか、

自己評価を他人に話す際、自虐的とよく言われるが、

自分を不美人という前提で話すのは自虐的かも知れぬが、

美人であるという前提で話せるほど私の肝は太くない。

その結果自虐に陥る。

 

単にシビアに自己評価してるだけだと思っている。

 

私の脳内ではそれなりに「悪く無い(不美人ではない)自分」が存在しているのだが、

ふと鏡を見た時の我が身の阿保面さ・不細工さが自分を冷静にし、現実に引き戻すのだ。

 

キラキラした自分を脳内再生してる瞬間、ジャガイモみたいな自分を鏡の中に見つけたらズコーッ(昭和的表現)となるよね。

 

ちょっとだけ世の中のことをわかったフリしたって、気取ってオシャレしたって、所詮ジャガイモやカボチャに毛が生えた程度。

麗しい薔薇にはなれない。

 

だが、絶望してる訳では無い。

絶望なんざするか、そんなの暇人のすることだ。

というより、そんな時代は過ぎた。

絶望し尽くして、多くの時間を無駄にしたのだ。

無駄を繰り返さないように、頭が悪いなりに同じ間違いは犯さないように気をつけてるのだ。

 

美人じゃなくたって、頭が少し悪くたって、死ぬほどのことでは無い。

 

ジャガイモはジャガイモなりに、カボチャはカボチャなりに、自分を活かして生きてゆく。

ただそれだけのこと。

 

薔薇ではないのに分不相応の扱いを望むから不幸になるのだ。

というか、自分の要求した扱いを他人様に望むって何様だろう?

他人に命令するなんて、そんな面倒くさい人間関係は要らない。

私には私自身がついている。

私自身が私を幸せにすればいいだけのこと。

 

そんなの30年位前からラストアンサーが出ている。

ここまで言語化するのは初めてかも知れないが。

 

そもそも私は美に対する(美以外のことも)自我が目覚めるのが遅かった。

 

そこら辺の小学生女子ですら鏡を見て容姿に気を遣うことを当たり前にしてる年頃の時代、

その横で自分は自分の脳内の楽しいことを追いかけることに夢中で、寝癖など跳ねていようが、登校時に目クソがついてようが

(失礼。そこまでではなかった。誇張です。洗顔くらいはちゃんとしていました。)

鏡に映る自分の姿などどうでも良かった。

そもそも鏡すらちゃんと見ていなかった。

 

本当に、リアルガチに、自分って妖精とか精霊の類いだったと思う。

↑いや、ツッコみ待ちではなく、マジで。

人間世界のしがらみなど、なーんも感じてなかった。

 

人間の女の子としての感覚というか、おしゃまさとか、馬鹿にされないように自分を装うだとか、

そういうの持ち合わせてなかった様な気がする。

 

欲しいものは現実にはないの。

夢の中でなら自由自在に得られるものばかり私は持っていた。

だから現実世界で欲しいものなんてなかった。

多分。

 

現世(うつしよ)ではなく、夢の中をふわふわと生きていた。

 

(今も少しその傾向があることは自覚してるし、夢見る夢子ちゃんだとかロマンティストだとは私の本質を知るソウルメイトには言われる。)

 

他人がどうとか、むしろ他人にどう思われるかなんて、自分の振るまいについても鑑みる事などなかった。

 

それでも身近な家族親戚は大切に育ててくれたし、また変わったこと言ってるよー、面白い子だね、って済まされていた。

 

つまりは、周りの顔色を窺わなくてもありのままの自分を受け容れて貰えていた、恵まれた環境に居たからだと今になっては分かる。

 

美醜に関することで言えば私は面食いだし、

芸術を愛しているし、

ただ、それが自分自身の容姿である必要はない。

自分など、鏡を見なければいいだけのこと。

勿論、自分の目に映るものは美しいに越したことはない。

 

例えるならば、ギリシャ神話だかに出てくる美少年をさらって自分のお酒のお酌させる役目を与える神様の気持ちが理解出来る。

 

権力さえあれば、ただの顔の綺麗な中身空っぽのあの子を飼い殺しにしたいよね。

生かすも殺すも自分次第で自由。

ならばわざわざ自分の手など汚さずただ愛でるだけよ。

相手は対等じゃないのよ。

自分より弱いモノなど虐めても仕方がない。

てかイジメかっこ悪いし。

労って与えて幸せに囲ってあげるわ。

 

人格や中身になんか興味はない。

だって、多様性とか言ってる割に、人の個性なんかそんなに違いはないじゃん?(おおざっぱ。)

救いようのないほどの馬鹿は嫌いだけどね。そんなのもそんなには存在しないし。(少なくとも私の身近には。)

 

美しさを手に入るのなら、人間性のレベルとかそんな不確かなものより、(人間である時点でレベルは知れたものだ。)

絶対的な容姿の美しさで人を黙らせる気迫が欲しい。

(ある意味危険な思考回路?)

 

私は絶対的な美しさの前で言葉を失うことがあるし、ひれ伏すのが好きだ。

中身が空っぽの美形に対してですら憧憬があったりする。

(そんな中身空っぽな美形なんぞ簡単には存在しないが、物語の登場人物として想像するのが好き。

勿論、中身が空っぽなので美形でも主人公にはなり得ない。

せいぜい物語をちょっとだけ引き立てるモブあたりが相応。)

 

昔風のミステリー小説なんかに良く登場する、外見はもの凄く美しいのに頭が余り良くない浅薄な美人女優とか、モチーフとしては大好き。

勿論犯人役に成れるほどの才覚はなし。

才色兼備なんて贅沢。いいじゃない、外見さえよろしければ内面なんて多少残念でも。

 

その一方で美だけが絶対とは思わないし、秩序ある理を重んじたい。

柔軟すぎていい加減な人よりも正論を吐ける人、責任感の強い人、ならぬモノはならぬモノです。というお堅い意見が大好き。

 

問答無用でダメなモノはダメなのよ。

議論の余地など要らぬのじゃ。

凶悪な犯罪者に犯罪に至る背景と名前は与えてはならぬのと一緒。

安い同情は犯罪者の自己顕示欲を満たすだけ。

 

容姿の美というよりは、物事の美を愛しているのだろうな。

真・美・善。

これが私の愛する秩序のある世界の真実である。

 

私の心はアンビバレンス。

二律背反に当てもなく考えを巡らせたり、自分で悩みの迷路をつくって自分で悩みの迷子になるのがむしろもう好きなんじゃないだろうか。(これは知ってた。)

それが私の性格。

 

そんな訳で、悩みやコンプレックスが、私を想像豊かにし、自己を律する。

元がブサイクだからせめて身綺麗にしよう。

そうやってやっと美人に成る為の真実にたどり着く。

 

美に対する観念ばかり話しても仕方がないので、

次に具体的に頑張っていること・実践していることを紹介しよう。

 

日焼け対策・美肌維持はアフターメンテナンスではなく予防で。

最初から日焼けしなきゃケアも楽でいいし、肌荒れしないように食事と睡眠を気をつければお金だってかからない。それより普段食すものにお金を払いたい。

最近の朝食はオーツミルクにプロイテイン。食塩無添加トマトジュース。

日焼け止めは冬も常用。

晴天時の運転中の手袋・サングラスは必須。

お散歩は帽子必須。

はっきり言って、アウトドア・日に当たるイベント嫌い。

 

肌と髪と爪と歯と体型がそれなりに綺麗なら、無駄な投資もしなくて済む。

 

そしてダイエット。

常に痩せたい痩せたい言ってるけど、好きなだけ食べていたら太るんだから、最初から食べ過ぎなきゃいいんだし、最初から太らないようにすればいいだけじゃん。

とダイエットに悩む人からしたら怒られそうな暴言がモットーだったりする。

 

特に食べたくもないモノを食べたりしてに余分なカロリー取るのが馬鹿馬鹿しい。

食べ過ぎて、次の日から調整の為に食事を減らして、の繰り返しが無駄すぎる。

痩せなきゃ・体重戻さなきゃって、考えるだけでストレスフル。

 

冬から始めた食生活改善でスナック菓子とお酒をやめた。

(頂き物の珍しいスイーツや、来客時・外出時・イベント時の甘味とアルコールは美味しく頂きます。時間帯や量に気をつけて食べることにしてる。)

 

煙草は元々吸わないし。

止められない嗜好品はコーヒー・紅茶くらいかな。

偶に高カカオチョコレートは食すが。

(チョコレート大好き。)

 

てか、なんで今までやめれなかったんだ?

という位嗜好品に執着がなくなった。

喉元過ぎて熱さを忘れて、制限出来なかった頃が思い出せない。

 

依存性があるのよね、お菓子とお酒って。

つまりは砂糖とか小麦粉とかアルコール。

単なる習慣とも言える。

 

食事制限で言えば、

夜の炭水化物を抜くより、お菓子とお酒を抜いた方がてきめんに痩せた。

今現在も夜ご飯にちゃんとお米も食べて、少しずつ体重を落としてます。

お米大好き。

麺類やパンは元々そこまで好きでなかったのが幸い。

 

結果・約8ヶ月で4.5kg減。

四年前の、太る前の体重にめでたく戻りました。

パチパチパチ。

自分に拍手喝采を贈りたい。

 

このまま食生活改善を続けて、太る前の中で1番見た目が良かったと認識している体重まで、減量したい。

あとマイナス1.5kg位が目標だったりする。

 

運動について。

スポーツジムは毎回続かないからもう最初から入会しないことに落ち着いた。

(過去3回位は入会経験あり。)

元々運動好きじゃないし、通う時間がもったいない。

終わった後のシャワーとドライヤーの時間と着替えの用意が面倒くさい。

水も持っていくの重いし、ジムの酵素水飲み放題オプションとかつけ始めたり、シューズやヨガマットを置くのに個人ロッカーの契約を追加したり、料金にキリがなくなる。

 

マッサージについて。

エグい肩こり・ストレートネック持ちだが、

愛用のネックマッサージャーも最近壊れたし、通っていた近所の整体のお店も閉店したし、どうしたものかと思っていたが、

マッサージ店へ通えば通うほど・ネックマッサージャーを使えば使うほど・

コリが悪化していったのでそもそもの原因をつきとめて改善した方が賢明だと思い直した。

(マッサージ屋さんには悪いが生活改善しない人間の身体には所詮付け焼き刃。)

 

肩こりも首こりも主な原因はただのスマホの見過ぎだし、なんなら手首の痛みもスマホの持ちすぎだし控えめにすればいい。

 

姿勢の悪さと、運動不足に因る運動不足の所為かもと最初は思ったが、

そもそも整体の先生も筋トレよりストレッチが大事と言っていたような気がする。

 

コリの原因の生活習慣を改める・自分でコリをほぐすストレッチをする。

その分時間もお金も節約になったし家でのんびりストレッチしてたら他力にマッサージしてもらっていた時より調子が良いような気がする。

 

そして、身体の不調の原因って全部肩こり・首コリから来ているよな気がする。

 

首がつらいから始まり、

→仕事中のPC作業がツラいしストレス

→首がツラくて安眠出来なくて朝スカッとしない

→朝ツラいから食欲ないし、だったら食欲旺盛な夜くらい好きなモノを好きなだけドカッと食べたい

→そんでもってツラいから、マッサージとか美味しいモノとか自分を甘やかすご褒美がないと頑張れない

 

→結論:こんなんだから太りやすいし痩せない

 

そう気がついて愕然とした。

 

↑これが今冬から開始したダイエットする前の悪循環だったのだが、改めて文字に起こすと何故気がつかず長時間放置していたのか。

 

否、気づいてはいたが、自分に甘くて自分が太ったくらいでは誰にも迷惑かからないし、と見て見ぬ振りをしていた。

 

ダイエットして少し痩せて気分が前向きになったのか、不調について真剣に向き合う様になった。

 

以前まではストレスや加齢のせいだから仕方がないよね、と碌にに改善しようと考えもしなかったのだが、

 

余りにも体調が悪く・太った体重が戻らず・ストレスで段々健康診断のB判定やら要検査の項目が出現してきたのでびびってきたのだ。

 

病気になってまで自堕落な悪習慣を続けることに、執着はもうない。

 

好き勝手に節制もせずに過ごして、他人に自分の身体の不調を治して貰おうという他力本願が、

その責任感のなさが自分の不調を増長させていたような気がする。

 

決めたわ。私。

これからも、

自分で責任を持って心身共に健康で美しくなる!!!

 

結局、これなのだよ。

健康と美って繋がっているのだよ。

若い頃は無謀さと無駄も糧になるが、

歳をそれなりに重ねた不毛の年代には無駄は無駄にしかならない。

美と健康さは両立させないと後がない。

 

健康でいることをやめますか・人間やめますか・みたいなキャッチコピーの心境。

 

ていうか、人生っておばさんになってからの方が長いじゃねーか!怖っ!!!

 

と、銀魂のサブタイトルみたいな事をリアルガチに実感する今日この頃の私はマダオ(まるでだめなおばさんの略)。

 

マダオでも楽しめたら人生こっちのもんよ。

と開き直り中。

 

私の望みって、

身体に良い物を好きなように適度に食べて、

好きなお洋服を楽しめて、

多少疲れても身体が痛くない状態でお出かけしたい。

この三つに集約されるのだった。

 

ていうか、そこがちゃんと出来てたら、全然マダオじゃなくない?

なくなくなくない?

 

在りたい自分と他人からどうみられるかが、

とか当初言っていたが、

とどのつまり、自分に意識が向いていると外野が何も気にならなくなってきた。

他人に尊重されるより、私は私自身を尊重することに集中する。

 

そこで尊重とは・自分を大切に扱うことと結論づける。

 

人にどう思われようが、

自分が肩こり・首コリから解放されて、

健康的な食事をして自分の目標体重をキープして、

肌と髪が健康で綺麗で、

自分の足で歩ければ、

ストレスフリーで他に大した問題なんて何もないのだよ。

 

そう最近悟りました。

いや、大分以前から気がついていたような気がするが、身を以て体感したというか。

ほんと、体調不調やコンプレックスって学びをくれるよ。

 

そんな訳で、自己診断の結果。

私、自分史上・1・2位を争うくらい

今が美人です。

人と比べても本当にゴールがないから。

もう、そう自分で言っちゃうことにする。

 

体重は現在BMI20ジャスト位。

欲を言えば先述の通りあと1.5kg位は痩せたいが、

痩せても維持出来ないなら意味がないので、食べたいもの適度に食べて、その体重になれたら良いなーのスタンス。

 

これ以上食事は減らさないし、運動も頑張る気はない。

 

BMI18位だった時代もあったが、

その頃の自分の体型を思い出すと、

私は骨太なので脚は立派に太いまま、

骨盤が立派な安産体型なので当時腰骨がとがって出ていて、

胸の谷間の肋骨が浮いていた。

 

当時仕事で一日3万歩位歩いてて、一緒にランチを摂る同僚が面白すぎて笑っちゃってお昼ご飯が食べれなくて痩せた時期があった。

↑どんな理由だよ。

それで痩せちゃったので偶然の産物のシンデレラ体重だった。

BMI18はシンデレラ体重という。現BMI20は美容体重なので、数字だけ見れば今のままで十分ではある。)

 

私は身長170cm。

当時BMI18で52kg位。

 

無理に痩せたわけではなかったので体調は健康だったが、

上半身がガリガリだった。当時30歳を過ぎていたので問題ないが、未成年だったら危険域の一歩手前。

 

知ってる?胸の谷間って、骨が浮くんだよ。

横から見ると、痩せた犬みたいなシルエットだった。

ちょっとあれは成人女性としてはセクシーとは言えない。

ただ痩せても美しくなれないのは実証済み。

 

つまり、私の場合だが。

一日3万歩位歩いて一日1000~1400Kcalの食事カロリーをキープし続ければBMI18にはなれると、

どこまでやれば痩せれるかは加減は知っている。

 

が、一生継続しないとリバウンドするレベルなことも知っているので、そこまではやらないのが正解と思っている。

 

あばらも浮き出ずお胸もちゃんとキープしてるBMI18あたりの美のカリスマは一体どんな生活を送っているのだろう?

 

健康なら文句はないけど、危ないのはそれに憧れちゃう若い女の子。

 

そんな存在に憧れて、自分の生まれつきの骨格や体質を無視して、知識もなく真似しようとしたら拒食症になっちゃうわ、

若い子は本当に気をつけて欲しい。

健康でいられないくらいなら、痩せなくて良いよ。そこで失ったものは取り戻せないから。

 

体重はただの数字。

見た目に比例しないことも知っている。

身を以て学んだから。

 

それでもその数字を減らしたいなら好きなものを好きなだけ食べるのは諦めなくてはならない。

人生がただの数字に縛られて楽しめなくなるなら、

そこまで天秤にかけるべきなのか・そこまでの価値があるのか・

トータルで考えてみた方が良い。

 

話はズレたが、自分の美のランキングとしては

勿論年齢が20代位の内側から発光していた(今振り返ると、確かに発光していた。)時代の自分には敵わないかも知れないが。

 

そんな訳で現在は歴代1・2位あたりと発表させて頂く。

 

人と比べなくて良いよ。

自分史上の第一位を目指すのさ。

 

そう思って、毎日過ごすと機嫌が良い。

衣食住満ち足りて容姿の美しさ(自己判断可。)と健康を保てば、他に必要なモノなどないのかも知れない。

(あと、うちには猫もいるし。最高じゃない?)

 

とりあえず、今は人生で1・2位を争う位には幸せかも。

そうこのブログを書きながらお茶を啜ってしみじみするのでありました。

 

 

 

おしまい。

 

今回文字ばかりなので私の満ち足りた人生のお供である、

おまけの猫ブロマイド。

 

エントリーNo.1・しろー君。

 

我が儘ボディと青目がチャーム・ポイント。

寝坊助さんで、今日も午後に目覚めてブログ作成中の私の部屋に挨拶に来てくれた。

私のベットシーツに転がり、思う存分毛をつけて去って行くのがまた愛しい。

この角度だと模様で我が儘ボディがイマイチ分かりづらいが、

相当モフモフ。控えめに言って最高。

 

#ダイエット #美容の心得 #おまけの猫

 

エントリーNo.2・みにょん こと みーちゃん。

 

ツンデレ・暴君できっと自分を人間だと思ってる。

すごく喋る。

何て言ってるのかアテレコするのが私の趣味でもある。

毎夜、父と母の間で枕を並べて就寝する。

私の猫なのに、私より私の母をお母さんだと思っている。

 

非常に悔しい。

#おまけの猫

 

エントリーNo.3・ぴろ こと ぴこちゃん。

 

永遠の2歳児のような性格。

主である姉がブラック企業勤めで、休日がなく30日連勤をした際、

寂しかったのか

ハゲが出来ました。

頭頂部だけで失礼。

可愛くて愛しい写真だったもので載せます。

#おまけの猫 #飼い主不足でハゲが出来ました

ほんとに今度こそおしまい。