正しい盆の過ごし方~終戦記念日・ご先祖さまと英霊に寄せて~
今日は77回目の終戦記念日。
終戦記念日というと何故か見た記憶も無い晴れた空と、耳にうるさい蝉の鳴き声、濃い夏の匂いが頭の中で再生される。
誰が意図したか分からない、人間のではない場の重苦しい記憶というのだろうか。
そういったものを思い出す。
私が日本史を苦手としたのは、第一次世界大戦から終戦までの教科書の内容と授業が、嫌悪感をもたらして拒絶反応が起きるからである。
戦中・戦後に触れた教科書の内容が大嫌いだった。
嫌いなものには、無関心でいるものより自己の精神において重大な理由が潜んでいる。
私は日本人に植え付けられようとしている、自虐に拒絶反応を起こしていたんだと思う。
今なら、戦争に負けたから、全ての責任を押しつけられたのだと突っぱねることもできる。
でも、あの無垢な情報武装もしてない義務教育期間に、暗にずっと日本人は戦争責任があるから尽くせ、(何に?日本を食い物にする外国に?)
奴隷になれ(丸腰で戦争反対を叫ぶ盲人に?)
と教えられたようで、幸せになってはいけないと突きつけられたような気持ちになった。
建前と、本音を分けて教えて欲しい。
どう思えばいいか正解を教えて欲しかった。
まごうことのない真実や真理に憧れた。
私は高校生時代日本人の業のようなものに耐えられず、これを楽にするには宗教に入ればいいのだろうか、と考えたこともあった。
(イメージは仏教に出家した尼さん。)
今思えば、それはとても危険な思想なのだが。周りに変なカリスマ教祖やリーダーがいなくて良かった。
いたら洗脳されておかしな人間にされていたかも知れない。
ただ思うのだが、もしかして正解はあるのかも知れないのだが、表面上日本人には先の戦争において、どう受け止めるかを個人の自由に委ね過ぎているのではないだろうか。
もちろん、戦争は過ち、日本には責任がある。そう受け止められることも重要である。
そして、こう受け止めなさい、と総一的な教育をするのも、洗脳に近いので、誤った思想を基にした場合大変危険であるから、取扱注意なのも分かる。
一方で無関心も目立つ。
もしかして、内心思うところがあるのだろうけど、言うのが憚られる、ということだろうか。
お茶を濁すという慣用句がしっくりくる日本人気質。
ただ、もっとしっかりしようよ日本人、ともどかしい気持ちでいっぱいなのだ。
(もちろん自分を含め。)
先の天皇皇后両陛下を、慰霊訪問で沢山働かせてしまった。
有難い気持ちと、不甲斐なさでいっぱいになってしまうのだ。
民間では出来ない仕事を担って頂いたのはわかるけど、同時にもっと小さな個人でも日本の為と胸が張れる指針が欲しい。
それと同時に、そこから進むにはどうすればいいのか。そう呆然としてしまう。
どうして日本は日本人の幸福を1番に考えてはならないの?世界平和って日本が丸腰で戦力をもたないことなの?外国から干渉を受けても戦わないことなの?独立を守るのは何にも勝る優先事項ではないの?戦争さえしなければ平和なの?
終戦記念日に関係なく、常に考える。
選挙の投票に行くときも、どの政党に投票しようか本当に悩ましい。
こればっかりは他人に期待することでしか日本の未来に投資できないから。
先ほど、自民党の誰々が、靖国参拝をして、誰々は、記者の問いかけにノーコメントだった。
というニュースを見た。
誰が参拝しようがいいじゃないか。このニュースは何が言いたいんだ。
毎度のことだが、そうモヤッとした気持ちになる。
むしろ日本国民全員靖国参拝をしろ。とめっちゃ思春期だった高校生時代の私ならそう思ったのだが、
今は強制ではなく個人で、と枕詞をつけて事を荒立てないように静かに参拝する方の邪魔はするんじゃねえ、とだけ思う。
間違ったことをしてるから事を荒立てないようにしてるわけじゃあない。
誰の代弁をしてるか知らんけど、正当な理由もなく批判する輩がアレだからノーコメントなんじゃないの?そんくらい分かろうよ。
何を聞き出すための記者なの。何て答えさせたいの?悪意はないの?
そう。私はこの手の話題には冷静ではいられない。
普段なら考えられないべらんめえ口調の日本男児的気質が乗り移ってしまう。
一部メディアの情報操作の悪意のようなものを目にすると、怒りを覚えて、でもじゃあどう自分は終戦記念日や平和に対して祈ろうかといつも考える。
とどのつまり。現時点での結論として。
ご先祖様に敬意を。
結局それに尽きる。
奇しくも日本のビックイベント・お盆。その期間と終戦記念日が連なっているのは縁がある。
日本人は心安く、高校野球の甲子園大会を見守りながら英霊に思いを馳せるのが正しい盆休みの過ごし方。
汚れちまった悲しみに、高校球児の真摯さが目にしみるぜ。
普段どんなに一人で生きてるつもりでも、お金さえ在れば世の中ほとんどのことはどうにでもなるのよ!と嘯いても、国の行く先や情勢の不安定さに負の感情を抱いていても。
お盆は自分のご先祖様に感謝し、英霊に祈る。
日本のこの風習には感謝。
私たちの先の戦争のジレンマも、自虐教育や自虐外交も、誰に向かっているのか分からない政治も。
そこは脇にちょっとだけ置いておいて、
心安くお盆を過ごして、ご先祖さまに感謝。つつがなく日々を暮らせていることに感謝。
おしまい。
ぼくらが旅に出る理由6~猫とバレエをこよなく愛する・うろんなエドワード・ゴーリーに魅せられて~
さて、いつか行きたいリストにそって、色々な妄想や旅行計画を吐露する企画・第6弾。
今回の行きたい場所は
アメリカのエドワード・ゴーリー・ハウス(マサチューセッツ州)
である。
エドワード・ゴーリーとは絵本作家、画家、イラストレーター。
名前と絵の雰囲気でイギリス人?と予想したくなるが、歴としたアメリカ人である。
私がエドワード・ゴーリーの絵本と出会ったのは2000年~2005年頃だっただろうか。
ヴィレッジヴァンガードという、本と雑貨のお店にて。
本と役に立たないような雑貨があるお店が大好き。何かしら用事を作っては、よく通っていた。
特にショッピングモールやファションビルに入っている店舗より、独立した郊外店が好きで当時は良く出入りしていた。
本屋で「呼ばれる」と言う感覚は、お分かりになるだろうか?
「体感覚」というのだろうか。
「体感覚」とは、人間の五感の内の、視覚と聴覚を除いた感覚を主に呼ぶ。
(味覚・触覚・嗅覚のことを指す。)
コミュニケーションにおいても実は人間は、視覚・聴覚・体感覚という3つを使っているらしい。
私は、ネットで本を探すのが苦手。出会いとしては、本屋に行って、体感覚で探すといい本に出会えるのだ。
もちろん、視覚で得た情報を体感覚に落とし込んで、後日ネットで改めて本を買うということもある。
前置きが長くなったが、エドワード・ゴーリーの絵本もそうやってヴィレッジヴァンガードで出会った本だ。
沢山積まれた本の中で、異彩を放っていた。
なに、この本。怖い気がするけど、目が離せない。
岡本太郎の写真集で、「岡本太郎の東北」というものがある。これもヴィレッジヴァンガードで呼ばれた本だったけど、それと同じくらい怖い。
(特に覚えてるのは、青森のイタコさんの写真と、イタコのなりたち、の解説文。
ぞわぞわするけれど、呪術的なものと日常が、土着のものとして共存している感じが身近である。とてもリアリティがある。
現在では人権とかそういった問題で物議を醸しそう。
聖か邪かなんて、外部の人間には判断出来るはずもない。
外からの権力が介在した時点で、それが邪になるのだから。
清濁合わせ持ったものにしか真実は内包されていない。と思う。
ありのままを写した写真という手法は、これらを表現するのに打ってつけだったのだろう。)
怖い系(単純なホラーではない)のおすすめは、手塚治虫の「奇子」(あやこ)、や「きりひと讃歌」という漫画も。この作品達もヴィレッジヴァンガードで呼ばれた作品です。
どれも1回読んだら忘れられないトラウマ級のインパクトです。
蛇足になったが、ゴーリーの絵本に話を戻そう。
初めて読んだのは、「ギャシュリークラムのちびっ子たち」だったと思う。
アルファベット・ブックの様式をとった絵本で、A~Zの順の名前のこどもたちが、残酷な死に方をしていく、という内容である。
改めて説明文に起こすと、ものすごいパンチがある内容だな。
これから読む方の為に、これ以上の内容は言及しないが、テイストとしては英国のマザー・グースと同じような雰囲気だろうか。日本で言う怖いわらべ歌みたい。
「かごめかごめ」とか「とうりゃんせ」みたいなね。
不思議なことに、残酷なのだけれど生々しい残虐さがない。
いい匂いの苔、みたいな質感。苔って森の中に生えてるやつとか、盆栽の鉢の中にあるやつって癒やされますよね。ああいう感じです。
(個人の感想です。)
白地に黒で精密に描かれた絵。でも神経質とか偏執的といった感じではなく、几帳面な感じ。
毛皮や上等なドレスの生地や壁の模様やカーテンのタッセル。
どれも精緻でずっと眺めていたい。
ゴーリーはネコも大好きで、どの登場人物も不条理な目に遭ったり不幸になったりするのだけれど、ネコだけはそんな目に遭わない。
ふしぎな動物?生き物?も沢山出てくる。
最近になってゴーリーを思い出したのは、3年位前に仙台の丸善でゴーリーの特設コーナーを見かけたからだ。
迷いに迷って、「MOE」特別編集の「エドワード・ゴーリーの優雅な秘密」という冊子を購入した。
これは日本初公開、原画展開催記念特別編集だったよう。
ううう。2016年に伊丹・福島・下関で開催していたとのこと。
情報に出合うのが遅かった。福島県立美術館なら行けたのにー。
これ程枕を噛みたくなるようなニアミスってない。
とにかく・ゴーリーの絵本は全部そろえて、自分のサロンなど開いたあかつきには並べて飾りたい、という夢を持っている。(ヴィジョンはあるのだけど、一体何のサロンかは自分でも不明。)
あとは、YouTubeで【ゲーム散歩/悪夢の精神分析】という動画をたまたま観て、(「Neverending Nightmares」というゲームの内容にそって精神分析の先生が解説する、と言う番組内容)を知って、なんだか好きな絵だな、と思ったらエドワード・ゴーリーの絵本に似ていたから。
あ、私ゴーリー好きだった、と思い出した。
こちらのゲームはものすごいホラーなので、苦手な方は軽い気持ちでは観ないように。
ゲーム解説+精神分析の解説の前述の動画なら、ちょっとホラー要素が薄れてフロイトとかがお好きな方なら観やすいかもです。
あとは、大のバレエファンで(特に振付家ジョージ・バランシンのファンだったとのこと)でニューヨーク・シティ・バレエのポスターも手がけていたというゴーリー。
(ニューヨーク・シティ・バレエって「SWAN」で真澄ちゃんとレオンが「牧神の午後」を踊ったところじゃん!バランシンも出てきます。詳しくは「SWAN-白鳥-」有吉京子氏著で。)
とくにおきにいりが、このポスター(ゴーリーハウスにタペストリーとして飾ってあるみたいです。)素敵でしょう。
バレエの基本の第2から第6ポジションを描いたもの。
ポスターとして売ってないかなあ。これは欲しい。
あとは、絵本をに触れるなら、翻訳者、柴田元幸さんの素晴らしい訳の日本語と、原書のイメージを損なわない選び抜かれたフォント(字体)も味わって下さい。
さて、最後に。
今回の行きたい場所、彼がニューヨークを離れ晩年まで愛猫達と暮らした家、エドワード・ゴーリー・ハウスについて。
ボストン近郊の美しい土地、ケープ・コッドにあります。
19世紀中頃に建てられた古い邸宅で、屋根の色や様子が象の皮膚に似て見えたことから
「エレファント・ハウス」と呼ばれたそう。
大変な読書家であり、蒐集家であった彼の蔵書や、集めた美術品や古道具やガラス瓶、浜辺から拾って飾っていた石たち、
彼のトレードマークの風変わりなファッション(ジーンズにスニーカー、そこに毛皮という着こなし方。指には沢山のアンティークな指輪達。)の展示もあるそう。
前述のバレエのポスターのタペストリーも観れるみたい。あー、いいなあ。
リンク:エドワード・ゴーリー・ハウスのご予約はこちらから。
↓
https://www.edwardgoreyhouse.org/
HPの雰囲気からもうウズウズしちゃう。
彼がスープ・オペラ(海外版昼ドラ)なんかを観ながら縫ったというぬいぐるみ、本当にかわいい。グッズ化して売ってくれないかしら。
(いろんなゴーリーの絵本の中に出てくるフィグバッシュというキャラクター。手塚治虫でいうところのヒョウタンツギみたいなキャラ?)
腕の動きなんか、バレエのポール・ド・ブラっぽくていい。
ちなみに、ゴーリーを愛する私を見かねて友達がレジンでつくってくれたピアス。(「うろんな客」の登場する謎の生き物:うろん君と不幸な目に遭わない猫ちゃん)
かわいいでしょう?もちろん非売品ですが、とても気にいってます。
猫ちゃんの足が、そこはかとなくバレエの第3ポジションになってたり。
ゴーリーは本やポスターなんかは、手に入れやすいので、お気に召しましたら是非探してみて下さい。。
あー、私もゴーリーグッズを好きなだけ集めて、ゴーリー部屋を作りたい。
おしまい。
ぼくらが旅に出る理由5~シュルレアリスムの代名詞、スペイン・ダリ劇場美術館~
今回はダリと、彼の作品がある美術館についてである。
私のいつか行きたいリストにもある場所。
サルバトール・ダリはスペイン・カタルーニャ地方のフィゲラス出身の画家である。
正式名はもう少し長い。
本名はカタルーニャ語で発音がちょっと違うようだが、一般的に浸透しているこちらを使わせて頂く。
違う文化圏の名前の成り立ちって面白い。
ロシアの詩人・プーシキンの物語を読んだときもロシアの男性か女性で姓のなりたちと発音が変わるのもとても興味深かった。(漫画・さいとうちほ氏「ブロンズの天使」参照。)
更に言うなら同じくスペイン人の画家・ピカソの名前もフルネームは更にとーーーーーーっても長い。
今回はここは本題でないのでさらっと流すことにする。
ダリについて今回改めて調べてみたら、貴族のタイトルも持っていることがわかった。
初代ダリ・デ・プブル侯爵(Marqués de Dalí de Púbol)。
いや、これ多分自称だな。そもそもイギリス人とかなら功績を残して貴族の称号もらうってよく聞くけど、ダリの生きていたスペインで20世紀初めって、そんなことないよね?
爵位名もなんか不自然だし。だって、ダリだし。自分で爵位つくったり名乗ったりやっちゃいそう。
その辺詳しい方、正しい答えが分かりましたら私までお知らせ下さい。
ダリについて確かなことを並べていきたい。
1904年生まれ。
近代の人なので、彼の写真は沢山残っている。彼の作品を知らなくとも彼の顔を知ってる人は多いのではないだろうか?
そう、あのプリングルスのキャラクターのようなお髭が特徴。(カイゼル髭というらしい。水飴で固めて維持しているとのこと。)
オセロットというネコ科の動物も飼っていたことがあり、その写真も残っている。
大きめのネコ科系の動物、飼えるのがめっちゃうらやましい。叶姉妹とか。(彼女たちのペット、サーバル・キャットのファビュラス君のファンです。)
あのビジュアルだけでも彼がどれだけエキセントリックでシュルレアリスムを体現してるかが分かりそうなもの。
生い立ちをみると内気で繊細な気質のようなので、ビジュアルや行動はパフォーマンスで実際は親しい人たちの中では常識人のようです。
天才を演じるための奇行であったとの見解も。
それでも変わり者には変わりないのだけれど。
あとは、チュッパチャプスのパッケージ。
あれがダリの作品と知らなくとも、「ああ、あれね。」とデザインが頭に浮かぶ人がほとんどなのではないだろうか。
(調べるまでアメリカの会社だと思ってた。)
だからダリがデザインする機会があったのね。
チュッパチャプスのトップとダリが食事をした際、デザインをお願いしたらその場でナプキンにサッと描いて、それを採用したとのこと。
仕事早い。
私がもともと知っていた作品は、「記憶の固執」ぐらいだった。
あの、柔らかい時計がぶらさがってる有名なやつ。時計よりも地面にある顔の生き物みたいな物質が相当気になるけどな。
仙台市在住だった時代に、区立図書館でダリの画集に出会って、著書を読んで、ダリとの関係が始まる。
その時観たのは、ダリの全画集。
そして著書・「ミレー「晩鐘」の悲劇的神話―「パラノイア的=批判的」解釈」という本。
著書に関しては、もうタイトルからして偏執狂(パラノイア)気質ムンムン。
実際その通り。
後に、題材となったオリジナルの方、ジャン=フランソワ・ミレーの「晩鐘」を観たけど、なんでああいう解釈になっちゃうのか全くわからん。
そんでもって、後にダリの作品、《建築学的ミレーの「晩鐘」》、
《たそがれの隔世遺伝(強迫観念)(ミレーの「晩鐘」を模して)》、
《ミレーの「晩鐘」の古代的学回想》・・・。
と、「晩鐘」をモチーフにした作品が色々出てくるんですが。
どんだけあなた、「晩鐘」に偏執してるのよ。
批判的といいつつパラノイア的に、ダリのモチーフに松葉杖と手押し車がやたらと出てくる理由がわかったような、わからんような。うん。わからない。
でもやたらと松葉杖がかわいい。ダリの他の絵画や彫刻で、松葉杖を見つけると嬉しくなっちゃう。
愛は憎しみの双生児なのね。愛するほど批判しちゃう。でも、偏執してるって認めてる。もう。めんどくさい愛情。ダリってめんどくさかわいい。
奥さんのガラのこと大好き過ぎるところも、めっちゃかわいい。
わかんないとかわいいで頭の中が埋め尽くされ、「なんかわからんけど、面白い!すごい!頭の中しっちゃかめっちゃかに愉快にかき回された!」となり、
「なぬ!お隣の福島県にダリのコレクションがある美術館があるだと!?」
とそこから数年の時を経て実物を観れる場所へ訪れることが出来た。
日本の福島県にある、諸橋近代美術館はダリのコレクションがなんと世界中で第3番目(だったか第2番目だったかな?)が多い。
アジアでは随一のコレクション数を誇る。
とてもとても素晴らしいので、是非公式のHPだけでもご覧頂くことをおすすめする。
↓リンク・諸橋近代美術館
サルバドール・ダリ コレクション|諸橋近代美術館 (dali.jp)
https://dali.jp/?yclid=YSS.1000430417.EAIaIQobChMI5rfP3sSv-QIVc9VMAh2YAwp2EAAYASAAEgKF1fD_BwE
絵画ももちろんいいのだけれど、ブロンズ像が素晴らしい!美しい館内と外観と相まって雰囲気を存分に引き立たせてくれる。
そう、諸橋近代美術館は外観・内装・雰囲気もとても素敵!
ダリは近代の芸術家がゆえ、ヒチコック映画と関係した当時の映像も観ることが出来た。
芸術に当時の最新技術を常に取り入れる姿勢が伺え、ダリの好奇心と実験的探究心を存分に垣間見せてくれる。
今でいうところのメディアミックスとか、コラボレーションというところかしらん?
色んな画家の成績表(採点表)をつくっちゃうところも、その中でも自分を天才って公言してこじらせてる感じが好き。こじらせてても、ほんとに天才ならチャームになっちゃう。うらやましい。
(ダリはその中でヨハネス・フェルメールを最高点で採点していて、めちゃリスペクトしていました。それ以来フェルメールがより好きになった単純な私です。)
ダリ作品とダリの発想に触れるとインスパイアされて、自分にも天才的なヒラメキが降りてきちゃうかも?
国内だと他に、横浜美術館(神奈川)、ポーラ美術館(神奈川)、大川美術館(群馬)
などにダリ作品がおいてあるらしいです。
福岡市美術館所蔵の作品もあるらしいけど、今もあるのかな?
これらは訪れたことがないのだけれど、いつか行きたいリストに追加しておこう。
さて、長くなりましたが、本命はスペインの「ダリ劇場美術館」!
ダリのふるさとフィゲラス(首都バルセロナから特急電車で約1時間ほど場所。フランス国境と近い所)にある。
シュルレアリスムの画家として成功した彼自身が設計や内装を手がけた美術館・芸術作品である。
屋根には卵が乗り、壁にはパン。
どちらもダリが固執したモチーフ。
もうこの時点でワクワクしちゃう。
美術館は中庭を中心とした地上4階地下1階の建物で、全部で22の部屋から構成されているとのこと。
どの作品も撮影OK!らしい。
すごい!そういや諸橋近代美術館も撮影OKスペースあるもんなあ。
ダリの人を驚かすのが好き、っていう心意気を感じる。
なんと地下には84歳で永眠したダリのお墓もあるらしい。
生きてる内に構想して、こうやって実現して、自分の死後も残るって、そこまで想定して造ったんだろうなあ。すごー。
未来も見据えた近代人ってかんじ。
さすが、シュルレアリスムの体現者。
↓見やすかったサイトのリンク。
バルセロナから1時間!「ダリ劇場美術館」で心躍る日帰りアート旅 | スペイン | トラベルjp 旅行ガイド (travel.co.jp)
https://www.travel.co.jp/guide/article/42452/
私は、富も名声もある、お金もちゃんと儲ける芸術家が好きです。
ダリの場合は妻・ガラのマネージメント能力の高さによるものも大きいようですが。
(ガラの死後、ダリはお金に対して無頓着だったゆえ借金だらけになってしまったとのこと。)
ゴッホみたく、赤貧にあえいだ芸術家の話を聞くと涙が湧いて悲しい気持ちになる・・・。
自分の売り込みをうまく出来ない、人間性の難が見え隠れして・・・(自分自身の不器用さと弱さとかぶって辛くなるのだ。ゴッホと自分を比較するのもどうかと思うが。)
話はずれたが、作品もダリの人間性にも興味は尽きない。
好奇心を忘れちゃった悲しい人間は、ダリに力を借りるといい!
そう思うのであります。
おしまい。
ぼくらが旅に出る理由4~いつも心に、ショパン。ああ憧れのワルシャワ~
さて。自分の旅に行きたいリストを次々挙げていくこの企画。
ショパンの生家。である。
我が愛しのピアノの詩人・フレデリック・ショパンが誕生したジェラゾヴァ・ヴォラ村がある。
ショパンが誕生した1810年当時の建物ではなく、復元だが、家具や内装は当時のままの形で復元されたもよう。
私のポーランドの知識は、まったくもって、ショパンの出身地である。
これに尽きる。これしかない。
私がショパンを愛する理由は、「音楽の話がとまらない1」あたりで軽く触れたが、最初のきっかけは幼少の頃聴いた中村紘子さんの「ハウス・ザ・カリー」のCMだったように記憶している。
そして中学1年生の頃母にねだって買って貰った「ショパンのポロネーズ集」のCD。
当時のCDは東日本大震災で紛失してしまったので、震災後同じものを買い直した。
私は、気に入って馴染んだものから感受性が縛られるようで、それ以降色んな演奏者のショパンを聴いたのだが、初期の刷り込みが強すぎて違和感があって馴染めなかった。
歌い方とか、テンポとか、アクセントとか。
この演奏家もいいよね、とは思うのだが最初に気に入った(特にショパンのポロネーズに関しては)アレクサンダー・ブライロフスキーの演奏版のCDの音じゃないと落ち着かないのだった。
ショパンという作曲家と彼の出身国のポーランドの情報を初めて取り入れたのが、このCDについていたリーフレットの解説を読んでだった。
ポロネーズとは、マズルカとともにポーランドを代表する郷土舞曲の1つである。
(解説:柴田龍一氏の文を一部拝借。)
郷土舞曲や民謡を取り入れているクラシックの作曲家は多々いるが、絶対王政が滅び立憲君主制へ移り変わり、それを経た第一次世界大戦前後に増えたのではないかと推察する。
それまで宮廷や王侯貴族向けに曲を書いていた作曲家の時代から、トレンドを引っ張っていく階級が移り変わっていったからだろう。
ショパンより時代は後だが、ハンガリー出身の作曲家バルトーク(民族音楽研究家でもある)も口伝でしかなかった民謡のエッセンスを沢山作品に取り入れた。
曲調や生き方にも全く共通点がないものの、時代を察知して無意識に世の変化を音楽に取り入れたのではないだろうか。
音楽や絵画から、第一次世界大戦前後は時代の変化というものの影を特に強く感じる。気がする。
私は絵画鑑賞も好きで、シャガール展を観たときも同じような感想を抱いた。
東欧の苦境と暗い影をものすごく感じ、下手すると憂鬱になるので感受性を働かせすぎないように注意して鑑賞している。
音楽と絵画は政治や戦争の匂いをものすごく反映させる。少なくとも私はそれをすごく感じる。
表立って批判や風刺が出来ない時代は、芸術の出番なのだ。
さて、ポーランドについて。
国連の区分では東欧。米CIAの区分では中央ヨーロッパ。
通貨はズヴォティ。首都はワルシャワ。
2001年、ポーランド最大の空港「オケンチェ空港」が「ワルシャワ・ショパン空港」に改名された。
西はドイツと国境を接する。
このことでも分かると思うが、この国は何度も分割と統合を繰り返してきた。
18世紀、3度に渡って分割された末に消滅。
自分の住んでる国が、消滅するなんて、想像を絶する。
いや、現在も同じようなことが世界的に起きている。
暗い過去の影ではなく、今ここにある現実に戦慄する。
戦後の1952年、ポーランド人民共和国として国家主権を復活させた。ただし、ポーランド統一労働者党(共産党)による一党独裁体制であり、ソ連に従属する衛星国であった。
1989年に行われた自由選挙の結果、非共産党政権が成立。現在のポーランド共和国となった。
ショパンは1810年ポーランドで生まれ、20歳でワルシャワを去りウィーンへ向かう。それを経て1832年に彼はパリで活動を始めた(22歳頃)。
この年はロシア帝国がポーランド立憲王国を併合した年でもある。
この少し前に11月蜂起が起こり、ウィーンからパリに赴く途中、ショパンは蜂起が失敗に終わったことを知り、
この頃「スケルツォ第1番」や「革命のエチュード」などが作曲される。
パリ時代は主にサロンで演奏を行い大変な人気を博し、ピアニストとして最大級の名声を獲得している。
病弱で生涯肺結核に悩まされれ、療養しながらも運命の恋人ジョルジュ・サンドと生活していた時代にも精力的に作曲活動に励み短い生涯で沢山の作品を残している。
大変な愛国者であった彼だが、2度と故郷のポーランドへ帰郷することなく、1849年39歳でパリ亡くなっている。
ポーランドについて少ない私の知識から特筆するなら、「ショパン国際ピアノコンクール」であろう。
名のある国際音楽コンクールで、もちろん開催地はポーランドのワルシャワ。
コンクールではあるが、基準に満たなければ第1位優勝者がなし、という年もあるらしい。
コンクールで使用される公式ピアノを演奏者が選ぶ時間が15分与えられ、どのピアノを選ぶか、選ばれるかの戦いを観るのももなかなか面白い。
勝負は演奏者だけではない、舞台裏を取材した特集番組を観たことがあり、大変興味深かった。
日本ピアノメーカーからはヤマハとカワイが選択肢にある。
2010年のコンクールではヤマハ使用者から初めての優勝者が出たらしい。
カワイ使用者からは残念ながら未だなし。
今後を大いに期待している。がんばれ!日本のピアノ!
そして忘れちゃいけないのが2021年第18回大会では反田恭平さんが第2位に入賞!
というとても素晴らしい結果を残している。
日本人歴代最高位タイで、内田光子さん以来51年ぶり2人目の快挙だそう。
同年2021年、第4位に小林愛実さんが入賞している。
誠に2021年のショパンピアノコンクールは胸熱であった。
反田恭平さんを初めてしったのはアニメ化にもなっている「ピアノの森」で登場人物の一人の演奏の吹き替えをしているからだ。
主人公・一ノ瀬海の師、阿字野壮介のピアノ演奏を担当している。
ショパンコンクール篇で主人公・海が演奏していた「プレリュード24の前奏曲 ニ短調 作品28 第24番」にいたく感銘を受け、ソッコーYouTubeへ聴きにいったら、反田恭平さんに出会ったのが2018年頃。
これから益々注目のピアニストに出会えて嬉しい。
今後のご活躍も刮目して見守ります!!
旅行に行きたいだけの話だったのに。結局大好きなショパンにまつわる話になってしまった。
ショパンの情報量が膨大すぎて、大好き過ぎて纏めるに纏めきれずここいらで断念。
詳しい続きはウェキペディアで!!笑
さて、ショパンの生家、ジェラゾヴァ・ヴォラ村へのアクセスは。
ショパンの生家(ジェラゾヴァ・ヴォラ)
Dom Urodzenia Fryderyka Chopina w Żelazowej Woli
所在地: Żelazowa Wola, 96-503 Sochaczew
アクセス: ワルシャワからPKP(鉄道)でソハチェフまで。ソハチェフからは市バス利用。
Tel.: (48 46) 863 33 00
Fax: (48 46) 863 40 76
<開館時間>
10月~3月・・・9:00~17:00
4月~9月 ・・・9:00~19:00
8/15 9:00~19:00
11/11 9:00~17:00
月曜日、1月1日、復活祭の月曜日、11/1, 12/24,25は休館
<入館料> 水曜日は無料
生家 23PLN
庭園7PLN
ショパン・リサイタル
毎年5月初~9月末の毎週日曜日、12:00~ と 15:00~の2回
リサイタル情報 http://en.chopin.nifc.pl/institute/concerts/zelazowa_wola
※ ショパンの生家の中の座席で聴く場合はチケットが必要(現地で購入)
※ 生家の外(公園内)で聴く場合は無料(ただし公園の入場料は必要)
ショパンコンクールのシーズンに是非訪ねてみたい。
おしまい。
ぼくらが旅に出る理由3~ルネッサンスとメディチ家~
前回はフランス革命や絵画にちょこっと触れたが、味をしめたので同じようなアプローチを試みたい。
つまりは、好きな歴史や絵画から行きたい場所の発想を得る、ということ。
いつか行きたいリストにも入っている。
今回は、イタリアのメディチ家ゆかりの場所や芸術について触れる。
簡単に説明すると、メディチ家とはのフィレンツェの実質的な支配者として君臨した華麗なる一族である。15世紀に繁栄の頂点を極めた。当時のイタリアは小国に分かれ、フィレンツェ共和国も独自の政治体制で説明が複雑になるので、「当時のフィレンツェ実質的な君主」と説明するのが手っ取り早いのでこう位置づけさせて頂く。
元商人一族から最終的にはトスカーナ大公国の君主となり、遠縁も含めばローマ教皇4名、フランス王妃を2人も輩出しているのだから、当時の飛ぶ鳥を落とす勢いといったら無かっただろう。
メディチ家最盛期より後の年代となるが、カトリーヌ・ド・メディシスの義父フランソワ1世はレオナルド・ダ・ヴィンチの最後のパトロンとして有名。
(ちなみにフランス王宮に洗練された食事マナーを持ち込んだのはこのお姫様です。調べると、お菓子のジェラートやマカロンやフィナンシェも持ち込んだよう。素敵。)
カトリーヌ・ド・メディシスは夫のアンリ2世亡き後、摂政としてフランスに大混乱を招く黒幕となるのだが、また別の機会に。
もうひとりのお姫様、マリー・ド・メディシスはブルボン王朝初代のアンリ4世王妃。
カトリーヌもマリーも摂政時代には政治の面で大暗躍。
実際失策も活躍もしてるのだが、女が権力を振るうと悪女の二つ名がつくのが世の中。
生きづらいったらありゃしない。それでもそんなのどこ吹く風とたくましく生き抜く女は美しい。
母后の権力ってやべえ。夫の亡き後が女の大勝負らしいですよ、奥さん。(ここだけの話。)
今回はフランスが舞台ではないのでちょっと時代は戻り、フィレンツェ黄金期のお話へ。
ルネッサンス期の芸術家を沢山支援した優秀なパトロンとしても見所のある君主。
ロレンツォ・デ・メディチ(=ロレンツォ・イル・マニーフィコ=豪華王) (カトリーヌ・ド・メディシスの曾祖父です。)はボッティチェッリやミケランジェロの保護者としても有名。
ロレンツォのお父上・ピエロもドナテッロ、フィリッポ・リッピ、ボッティチェッリらを保護。
私も権力者になったらかくありたい。(←結構な野望です。)
おまけですが、メディチ家出身のローマ教皇レオ10世(ロレンツォ豪華王の次男。ドイツで免罪符を販売してルターの宗教改革の発端になったのは有名な話。)は政治より芸術面での支援の功績がものすごい評価として残っている。(芸術支援のせいか他の浪費のせいかはわからんけど)歴代教皇の中で初めて教皇庁の財政を危機に陥れたという・・・。政治は敏腕だったみたいですが、浪費家でトホホなエピソードが残っております。
ちなみにロレンツォ豪華王は、マキャベリの君主論の献辞に「ロレンツォ・デ・メディチ殿下に捧げる」と記載があり献呈されている。
この後に君主論のモデルともなったといわれる(諸説あり)イタリアの時代の寵児、チェーザレ・ボルジア(レオ10世と同年代)も出てくるのだが、今回は名前だけ触れるに留める。
詳しくは塩野七生氏著「チェーザレ・ボルジア あるいは華麗なる冷酷」、漫画だと惣領冬実氏著「チェーザレ 破壊の創造者」、ちょっと古いがさいとうちほ氏著「花冠のマドンナ」あたりがおすすめ。悪い大人の男に恋したい人は是非。
(わたしはさいとうちほ氏に悪い大人の男のよさを教わった。)
メディチ家とボルジア家を出せばイタリアルネッサンス期後期の歴史はいと痛快スペクタクル。とりあえず今回はメディチ家の話なのでボルジア家はまた今度の機会にでも。
ともかく、いつか行きたいリストの場所たち。
ドナテッロの「ダビデ像」が観たい。
フィレンツェのバルジェロ美術館所蔵。
ヴェロッキオの「ダビデ像」が観たい。
フィレンツェのバルジェロ美術館所蔵。
フィレンツェのアカデミア美術館所蔵。
・・・フィレンツェに全部あるの!?
最&高。
ちなみに、高校生時代まではミケランジェロの「ダビデ像」が一番好きでしたが、現在ではドナテッロ派です。退廃的で、官能的で、変態的で、よき。
そもそもフィレンツェは街全体が世界遺産に登録されている。すご。
この調子で行きたい場所を次々挙げていく。
ドゥオモ「サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会」。
ドゥオモとは街を代表する教会のことであり、フィレンツェではすなわち=サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会、ということである。
「最後の審判」の天井画が観たい。建物自体も華美過ぎないゴシック建築のよう。
ヴェッキオ宮殿。
フィレンツェ共和国時代の政庁舎(一時期メディチ家が居住していたことも。)
博物館(美術館)エリアの天井まであるフレスコ画が圧巻らしい。気になるう。
ボッティチェッリもミケランジェロもダ・ヴィンチも観れちゃう!
とりあえず、当分はサイゼリヤにいったら壁をみて満足しておこうと思います。
サンタ・マリア・ノッベェラ
「サンタ・マリア・ノッベェラ教会」や付近に「メディチ家礼拝堂」がある。
ブランドショップが建ち並ぶ通りもある。
買、買えなくとも有名ショップの空気を吸いに行きたい!
円安だけど、今現地に行ったら日本で買うより安いんだろうか?
誰かその辺詳しく教えて欲しい。
フェラガモ博物館
マリリン・モンローの靴型とかあるらしい。
イタリアっていったらそういや靴だな。
ここもフィレンツェ!
忘れちゃいけないのがグルメ。
フィレンツェといったらトスカーナ料理、とのことだがトスカーナ料理ってどないやねん。
とりあえず、ワインの「キャンティ・クラシコ」位なら聞いたことがある。
パンにはバターではなくオリーブ・オイルをつけるとのこと。
豪快にお肉を焼いて、バルサミコ酢で頂いたり、トリッパというもつ煮込み風の料理があったり。
ふむふむ。ラザーニャはフィレンツェの郷土料理らしい。
割と馴染みそうな料理たち。好き嫌いの多い私でも楽しめそう。
ローマやヴァチカンも気になるけど、今回はフィレンツェ縛りで観光コースを考えてみました。
はああ。憧れは募るばかり。いつ行けるのやら、麗しのフィレンツェ!
おわり。
ぼくらが旅に出る理由2~革命とベルばら・愛と革命のトリコロール~
前回で触れた私が歴史好きになったルーツだが、小学校の図書室にあった漫画・偉人伝の影響も大きい。
よく読んでいたのは、ノーベル、シュバイツァー、ベートーベン、キリスト。
家にはモーツアルトの漫画・偉人伝があった。オーストリア宮廷に招かれて、マリア・テレジアやフランスにお嫁に行く前のマリー・アントワネットの前で演奏するシーンとか、めっちゃ覚えてる。そこの注釈で、マリー・アントワネットについて「フランス革命で処刑される。」
という記述がありショックを受けた。
え!何、処刑って!お姫様って、処刑されるの!?
とか思ったんだと思う。
やっぱり私も夢見る女の子だったので、お姫様っていう言葉にものすごく憧れを抱いていたから、相当びっくりしたんだろう。
そういや卑弥呼も失脚させられて最期は海に入水するシーンがあったし、淀君も火を放たれたお城で自害するシーンで終わりだったからなあ。
権力者(しかも女)が死ぬシーンっていうのが、どうやら私にインパクトを与え後々の嗜好に影響をもたらしたらしい。
その影響か、バレエの「ジゼル」の1幕終盤で、ジゼルが恋人の裏切りを知って錯乱して、踊り狂ってから死ぬっていうシーンが好きだったりする。
あ、あと、シェークスピアの「ハムレット」でオフィーリアが錯乱して、最期は水死する描写も好みだったりする。
水死のオフィーリアは沢山の画家がモチーフとして絵画を残している。
ジョン・エヴァレット・ミレー作の絵画なんて、作者は知らなくとも観たことがあってずっと心に残っていた作品なのだが、私以外にもそういった方もいるのではないだろうか?
少し話はずれたが、歴史を好むと、戦争・政治・絵画・音楽の話がもれなくついてくるのでどうしてもこういった死の影の濃い話になりがちになる。
生き死にの話が苦手な方はご注意を。
でも、よくいうじゃない?
メメント・モリ。死を忘れるなって。
死生観を見つめるのは生きるために必要なことでもある。タブー視することではない。
話を戻そう。
少女漫画で歴史を扱う作品の金字塔といったら、「ベルサイユのばら」だと思うのだけれど、私は高校生の頃初めて読んで、最初は昔の少女漫画の綺羅綺羅しい登場人物の容姿とか、キザな台詞とか、仰々しい詩的なモノローグに夢中だったのだけれど、
今思い返すと、フランス革命勃発してからのシーン、バスティーユ牢獄が陥落されて主人公のオスカル死亡するシーン以降~アントワネットが処刑されるシーンまでが特に好きなのだ。
主人公のひとり、オスカルが死んでから、2人目の主役アントワネットが死ぬまでが結構長い。
そう、フランス革命は始まってからアントワネットが死ぬまでが序章でしかなく、終わるまでのなんて長いこと!
「ベルばら」は飽くまでタイトルの通り「ベルサイユ」の「ばら」が散る話であって、革命の話ではないからここで終わるのが道理。
クーデターなら王族が処刑され、王族の権力が滅び、貴族や市民が台頭する前で終わってよさそうなものだが、そう世の中単純ではない。
革命を先導していたものたちが次々と入れ替わり立ち替わり、過激派の台頭、恐怖政治の実施、その挙げ句の果て自分たちが準備したギロチンによって処刑され、結局ブルジョアジーが勝者となり、沢山の犠牲を払ってやっとく落とし所に落ち着く。
濡れ手で粟のブルジョアジー。(否、ブルジョアジーだってめっちゃ働いて革命を生き抜いたんだと思うんだけど、王族の悲劇やロベスピエールのテロリズムに走っちゃう熱狂さと比較したらちゃっかり感がある。)
もっときれいな台本がありそうだが、現実ってそんなもん。
旧体制が新体制に入れ替わるときは、誰かが用意した台本が先にあったハズなのだが、
完全に制御不可能に陥り、結局力を注いだものではなく、宴の後に残ったくずを上手く拾ったものが権力者になったりするのだ。
ああ、さも儚き革命に振り回される命よ。
ここで、私は思う。
自分の手を汚すのって、美しいと思っていたが、勝ち負けにおいては愚策なのでは?
手を繋いでゴールほど、幻の理論はないのである。
WIN×WINってないんだな。(革命において。)
わたしゃ、政治家には、なれそうもない。
とりあえず、私は日本の明治維新前の王政復古~鳥羽伏見の戦い~箱館戦争の話も大好きなのだが、間違いなく、こちらも「ベルばら」から影響を受けフランス革命の小説やら考察本ばかかり読んでいたからに違いない。
いかに美しく破れるか。という敗者の美学と、
正義になるのは正しい者だからではない。勝ったものが正義なのだ。
という真理。
これらは明治維新から学び、
フランス革命において学んだことは、新しい時代は混沌からしか生まれない。
そして資金力が強い者が勝つ。
でも、死んだらおしまいだよ。生き残ったものが、強い。
さて、去る7月14日はフランス革命記念日(パリ祭)であった。
フランス革命の発端となったバスティーユ監獄襲撃(1989年同日)およびこの事件を記念して翌1790年年に行われた全国連盟祭が起源となっているそう。
国の祝日で、花火やらパレードやら大変なお祭り騒ぎのもよう。
いろんな施設が無料で入れたりして、ルーブル美術館なんかは常設展が無料で観れるとの情報が。
いいなー!モナリザ観てみたい。
もちろん、混雑必至のようですが。
漫画を楽しく読んだだけで、勉強になる。
もちろん、純粋な楽しみの為に読んだのだが、結果的に歴史の勉強になった。
歴史に学ぶとなんとなく今起きている世界の問題の解答が潜んでいるように思える。
現在なんてまさに次の時代の過渡期。
それぞれの舞台で踏ん張るしかないのだ。
ここでフランス革命のスローガンを高らかに叫びたい。
自由!平等!博愛!
これらは私の大好きな言葉だが、手に入れるまでが戦い。そして責任と義務が伴う。
責任なき上記3つは野蛮である。
その辺をお忘れ無きよう、取り扱いにはくれぐれもご注意ください。
過渡期に生きる私たちへの戒めとして。
今回はここで終わろうと思う。
ぼくらが旅に出る理由1~中野京子さんの怖い絵シリーズ・歴史考察ヨーロッパ編~
Q・趣味は何でしょうか?
A・旅行です。
無難に済ませたいとき、こう私は問いに答える。
もちろん嘘ではない。他の趣味は説明するのにいささか纏めづらい。
旅のスケールに、大きいも小さいもなく、いいも悪いもないから突っ込まれづらいとの予防線でもある。
(本当なら何事もそうなんだけど、旅行についてはそう結論づけしやすい気がする。)
コロナ禍前に比べてよりこっそりいけるコンパクトなお出かけばかりになった。
自分の中で実験的な試みの時は、大体一人旅。
温泉や観光は親しい友人を誘う。
年々、自分のHSPの特徴が顕著になってからは、益々一人行動を好むようになってきた。
昔は海外旅行も憧れたが、知らない人に話しかけるのが苦手、英語のグラマーは出来てもオーラルが苦手、(日本語ですら話すのが最近苦手である。)食べ物の好き嫌いが激しい。これらの理由で海外旅行はストレスになりそうな予感。
それらを度外視して、いつか行きたいリストに入っているのは
2,イタリア:メディチ家の館と庭園
4,オーストラリア:グレートバリアリーフ
5,スペイン:ダリ劇場美術館(フィゲラス)
6,アメリカ:エドワード・ゴーリーハウス(マサチューセッツ州)
こんな感じである。
上記をみると察して頂けるであろうが、4は別として、私は美術と音楽と歴史が大好きである。
日本の歴史の素晴らしさに気がついたのはここ10年ほどなので、国内の行きたいリストはまた別に語りたい。
歴史の面白さにハマったのは高校生くらいの頃。
もともと小学生の頃は、図書館にある漫画・偉人伝やディズニーの挿絵の絵本ばかり読んでいたのだが、高校生の頃美術館に見に行った「ハプスブルク展」で、ヴィジュアル便覧を購入したらすっかり夢中になってしまった。
東日本大震災で紛失するまではずっと愛読書であった。
タイトルも忘れてしまったので、再購入も探すのは手間なのだが、いつか買い直したい。
私は王朝の家系図が大好きなのだ。
ヨーロッパの勢力・家系図で見応えがあるのがハプスブルク家なので、高校生の頃世界史の時間は授業はそこそこに、便覧の家系図を見てうっとり過ごしていた。
(いまとなれば、日本の天皇家こそ世界一歴史が長いことにに気がつき、日本の歴史を軽んじていた自分をなんと浅はかだったと反省する。)
仕方が無い。もう滅びてしまった権力の歴史にしか興味が無いのだから。
革命が起きるまでの歴史が好きで、新しい時代のことはあまり興味が無かったりする。
(日本史も明治維新前が好きで、明治維新後がさっぱりわからない。)
この私の好みにバッチリハマった本が
中野京子 著 「怖い絵」シリーズ
である。
大分シリーズが出ていて、震災で紛失した分も含めるとどれだけ持っているかは不確かだが、新作が出る度購入していた。もちろん続編という形ではなく1冊ごとに完結しているからどこから読んでも大丈夫。
どれが一番お気に入りかと言われると、新刊が出るごとにそれが一番!と記憶が更新されるため、ヨーロッパの歴史の中ではキリスト教が大きな影響を与えてるのだから、
「名画の謎 旧約・新約聖書篇」
あたりから読むといいかも知れない。
旧約聖書はキリスト教徒だけの聖典ではないので、それによる争いが現在でも後を絶たない訳なのだが。
ちなみに、
だそうだ。
そら戦争になるわ。
もう、別物だとして、放っときゃいいのに。お互いの違いに口出すのがそもそもの間違い。
典型的無宗教の日本人の私の意見。
そして、宗教の自由がどれだけ特殊なものかというのをわかってないのが日本人。
もちろん何事にも特殊な例外はあるとして。
私は日本人の感覚でよかったなあーとつくづく思うのであった。
戦争は他の価値観を排除することから始まる。多分。
それをしなくとも、相手から仕掛けられたら終了である。日本の場合。
今起きていることは対岸の火ではないのだ。
綺麗事はやめて、どうやったら日本が守れるのか考えたい。
私は頭がそこまで良くないので、頭のいい人達にもっと考えて貰いたい。
唯一分かるのは、対話でなんとかなったら戦争はいらんのだよ。ということ。
相手の価値観を認めない者を対話に持って行くまでが骨が折れるのだ。
今回は飽くまで歴史考察なので、戦争・宗教考察ではないのでここら辺に留めておく。
ちなみに「怖い絵」は今春舞台にもなった。
残念ながらそちらの公演は終わってしまったようだが、
「星と怖い神話」怖い絵×プラネタリウム
という催しが7月1日~プラネタリア東京にて上映中らしいので、
ギリシア神話と名画に興味がある方は是非。
↓リンクではないです
星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム - プラネタリウム|コニカミノルタ (konicaminolta.jp)
歴史とは1本の樹からの枝分かれなので、スポット的に紹介するのは本当に難しい。
ましてやヨーロッパの母なるハプスブルク家の話となるともうお手上げである。
そこで、思いっきり個人的な趣味のところで抜粋しようと思う。
私が特に好きなのは。
オーストリア=ハプスブルク家の全盛期の女帝、マリア=テレジアの話と
「狂女フアナ」(カスティーリャ女王)の話。
私は豪腕政治家の女性とか、精神を病んでる美女の話に目がないのであった。
忘れてならないハプスブルク家の美女、エリザベート皇后もいるが、(舞台化などされている「双頭の鷲」などで有名な皇妃。宝塚で舞台化もされたようですね。)この人は外見が美しすぎて悪目立ちして、中身の凡庸さ故不幸になった人との印象なので、私の好みではない。
(マリー=アントワネットもそんな感じ。私は仕事が出来る女性か、メンヘラで周りを巻き込むくらいの迷惑な美女が好みなのだ。もちろんフィクションの中でのみである。現実の後者は身近にいたら、絶対嫌だ。)
この3人についてはハプスブルク家の長い歴史においても必ず紹介される機会が多いので、是非興味があったら。「ハブスブルク家12の物語」にも記述がある方達です。
今回はここまで。
歴史については、またゆっくり続きで語りたい。